駐車場のロープの上にヒヨドリがとまっていた。
目白通りが見えてきた。
目白通りで少し東寄りにずれるが、水路敷はさらに北へ続いている。
満開の梅の木を眺めながら北新井公園へ向かう。
青空に白梅がよく映える。
北新井公園でいったん水路敷は途切れているが、もともとは公園の西側を流れていたようだ。
公園を抜けたところには武蔵大学がある。濯川は武蔵大学江古田キャンパス中央を流れているのだが、千川通りにあった分水口の痕跡はなく、この分水の探索はここまでとしておこう。
さて、江古田川まで戻って北江古田橋から西側に進むと、蓋をされた排水口がある。ここから桜台駅に向かって弁天分水をだとっていく。
しばらくは普通の道路になっているが、近辺の道路に比べると道幅が広く、かつては側溝として水路があったのではないかと思わせる。
さらに幅広くなった道路の左右に歩道が現れる。歩道が水路敷なのかどうかはわからない。
徐々に道が西へ傾いていくところで、大きな木立ちが見えた。
木立ちは市杵島神社の境内だった。ここにはかつて湧水があったと言われ、この辺りの地名はかつて中荒井村大字中荒井字弁天だったというので、ここに祀られている弁天様が字名や弁天分水の名前の由来になったのかもしれない。
三度目の目白通り。北側の水路敷は民家の敷地に巻き込まれてしまっており、痕跡が残っていない。
途中、豊玉二中の南側には石垣が残されていた。おそらくは、石垣の手前に水路があったのではないだろうか。
環七通りを越えた西側に、水路の上流部分を思えるカーブがある。
水路は中荒井公園に向かって再びカーブしている。