環七通り側から水路敷を見たところ。あまり通行には使われていないようでほぼ駐輪場状態。
環七通りの西側では水路敷らしさは見えないのだが、目白通りから見ると微妙な谷が残っているのがわかる。
谷のある道路の方に行ってみるが、西側の焼肉レストランあたりではほとんど高低差がなくなっており、極めて浅い谷だったということのようだ。
最後にさきほどの合流点から直進して、下徳殿橋まで行ってみよう。
ねりまっぷで工程を見てみる。
インターロッキング舗装された水路敷を進んでいく。
ここからの写真は2020/3/11撮影。
インターロッキング舗装された水路敷はすぐに終わり、水路は南(左)から流れてきたと思われる。
かなり幅の広い道路がゆるやかにくねりながら南へ向かっている。
徐々に道路は狭くなっていくが、道路の右(西)側にだけガードレールがあるところをみると、そちらが水路敷だったのかもしれない。ガードレールが途切れているところで、水路敷は左(東)川へ逸れていく。
左に曲がったところはやはり道路になっているのだが、左側の道が高くなっているのがわかる。右の道が元は水路であったと推定される。
いきなりまた道幅が広がる。ここで水路敷が道路を渡っていたのかもしれない。
二車線道路に出たところで東側を向くと、カトリック徳田教会と総合東京病院の間に下徳殿橋が見えてくるのだが、はて、徳田とな?
橋のところにある交差点の名称は下徳「田」橋だった。読み方は「とくでん」ではある。
教会の看板も徳「田」で「とくでん」と振り仮名が振ってあるのだが…