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妙正寺川・井草川の水路敷群(井草川上流とその支流)その6
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西側
さて、それでは杉並工業高校の西側に回って上流端にある切通し公園へ向かおう。
まず最初に出てくるのは、南側の支流。さきほど校内に見えた水路敷の続きが出てくる行き止まり道があった。
続き
校舎の南側を水路敷が進む。
車止め
車止めのある雑然とした空間を抜けて…
南へ
高校のグラウンドが南へ張り出している部分に沿って、いったん南へ。
崖下
いきなり現れた崖の下を西へ進む。
切通し公園へ
左手に切通し公園が見えてきた。南側の流れはこのまま真っ直ぐ進んでいくが、ここでそのほかの流れも探してみよう。
道路
杉並工業高校の西側にある道路は、南側の支流と交差するところから北側の崖下まで幅が広がっている。
斜め
幅広い道の途中で西に向かって行く水路敷を見つける。写真奥で南に転進し、切通し公園に向かう。
途中
途中、道路を渡る。
別ルート
その道路の東側に、南へ向かうもう一本の水路敷があった。もともとは、杉並工業高校で行き止まりになる中央の水路から伸びてきたようだが、道路の北側では水路跡は失われている。
切通し公園
3つに分かれていた水路敷は切通し公園でひとつに。崖に沿って広がるこの公園が、井草川の源流とされている。
崖上
崖の上から切通し公園を見る。このあたりの旧地名は谷頭(やがしら)というそうで、地形そのままといえばその通り。
井草八幡宮
すぐそばには、青梅街道沿いに井草八幡宮がある。古くは遅野井八幡宮とも言ったそうだが、文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏征討に向かう際、7度地面に弓を射てようやく水が出たことから「遅の井」となったという由緒があるそうだ。
庚申塔
井草八幡宮前交差点の向かい側にあった青面金剛庚申塔。元文5年(1740年)庚申の年の銘がある。
この辺りが、六ヶ村分水から井草川へ水を分けていた新町口分水口ではないかとおもわれるのだが、水路の跡は分からなくなっていて、分水口の場所もよく分からない。
ここからの写真は2018/1/4撮影。
浅間神社と富士塚
井草八幡宮の隣にある浅間神社の小祠。後ろには、緑色をしたきれいな形の富士塚があるが、昭和50年に井草八幡宮の本殿脇から移築された比較的新しいものだそうだ。
江戸向き地蔵
青梅街道を少し西へむかったところ、善福寺への分かれ道にある江戸向き地蔵。中央の一番大きい地蔵尊が享保14年(1729年)の造立という。江戸から善福寺に来る参拝客の道しるべにもなっていただろうか。

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