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妙正寺川・井草川の水路敷群(今川の支流)その3
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校庭裏
杉並高校の校庭西側を上流側から見たところ。塀の間で水路敷が行き止まりになっている。
ここから再び上流を目指す。
塀の間
北側を観泉寺、南側を杉並高校に挟まれたそこそこ幅のある水路敷を進む。
観音寺
慶長2年(1597年)創建の観泉寺。桶狭間で敗れた今川義元の曽孫、今川直房は徳川二代将軍秀忠に高家(幕府で儀式や典礼を司る役職)として仕え、井草村一体を知行地として与えられたことからこの観音寺を拠点としていたという。
ここには、今川氏累代墓(都旧跡)があり、このあたり一帯の町名である今川も、今川氏が由来だ。
道標
観泉寺の向かいに安置されている祠の脇に置かれている道標。写真では「左ほりの内」とあり、反対側は「右長命寺」、裏側には「向ぞうしがや」とあり、それぞれ高円寺近くの妙法寺、練馬高野台の長命寺、雑司ヶ谷の鬼子母神だとすれば、もとからここにあったのではなく井草公園あたりに建っていないと位置が合わない気がする。
車止め
一方、水路敷は車止めをまたいで道路の向こうへ続いている。
地蔵と観音
水路敷北側には、周辺から集められた子育て地蔵や馬頭観音、青面金剛庚申塔がたくさん安置されている。
行列
ここに置かれている石仏は比較的状態が良いものが多い。写真右から二番目の青面金剛庚申塔は宝永2年(1705年)の銘があるので、富士山の宝永大噴火の2年前に作られたものというわけだ。この塔の傘の部分にも富士山の灰が降り積もったのかもしれない。
金太郎
地蔵群を抜け、さらに西へ向かう。
苔
苔むした水路敷を進む。
カーブ
水路敷はアパートの通路と並行しながら徐々にカーブして行く。
境界標
アパートの西側には、古い住宅局の境界標が埋められていた。
車止め
途中でインターロッキング舗装となるがさらに進んで行くと、車止めが3つ並んでいる場所に出た。右側は道ではなく、道路に面している左の車止めはともかく、前後の車止めの存在意義がよくわからない。
合流
しばらく行くと、直進する水路敷に左(南)から支流が合流してくる。
直進方向はもうすぐ上流端なので、とりあえずこのまままっすぐ進んで行こう。
交差点
上流端が近づく。
上流端へ
インターロッキング舗装の水路敷は、唐突に駐車場に突き当たって終わっている。
上流端から
上流端から下流方向を見たところ。写真手前の駐車場があるところは古い空中写真では屋敷森になっており、そこに湧き水があったか、あるいはさらに西側の六ヶ村分水から水が引かれて来ていたのかもしれない。

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