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越戸川とその支流(強清水〜上流端)その2
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朝霞市
暗渠の西側には、朝霞市の境界標がある。なぜかひらがな書きで、下半分は埋もれてしまっている。
営団地下鉄
反対側には和光市、ではなく旧営団(帝都高速度交通営団)のSマークをあしらった境界標があった。
暗渠道
境界標のあたりから下流側を振り返る。生活道路として使われている形跡もなく、やや荒れた雰囲気の暗渠道だ。
終点
ほどなく暗渠は終点を迎える。かつての流路もろとも水路は左の車両基地敷地内に取り込まれてしまっているため、辿っていくことはできない。
川筋
昭和38年(1963年)のねりまっぷに川筋を書き足してみる。
市境とは微妙にずれながら、車両基地の中を流れていたようだ。中央にあった大きな池も埋め立てられてしまい、今は残っていない。
曲がり角
しばらくフェンスに沿って車両基地の周りを迂回していくと、正面に児童公園の遊具が現れる。
土橋児童遊園地
越戸川の流路上に作られた土橋児童遊園地。
奥にある滑り台に向かって川が児童遊園地の下を流れているらしい。
暗渠へ
児童遊園地の下へ吸い込まれている越戸川。
再び開渠
再び開渠となった越戸川は、川越街道に向かって南下していく。
橋を渡る
旧川越街道の手前で、道路は橋で越戸川の東側に渡る。
旧川越街道へ
橋の上から、旧川越街道に向かって上流を見る。
正面に見える道路は埼玉県道109号(旧川越街道)ではなく、その旧道らしき道にかかっている橋。そこから、水路は大きく幅を減らしている。
旧道
国道254号(川越街道)から見れば旧々道と呼ぶべき脇道。西に向かって坂を上っていくが、その脇に蓋暗渠らしき支流があった。
坂の上から
2ブロックほど坂を上ったところで、唐突に蓋暗渠は終わっていた。
開渠の終わり
本流に戻って旧道から南を見る。
築堤の上を走っているのが埼玉県道109号(旧川越街道)で、開渠はそこに突き当たって終わりとなる。
旧川越街道
水路沿いに道がないので、旧道から東から旧川越街道へ回り込んで一枚。
緑色のフェンスが越戸川だが、気にしていなければ見過ごしてしまうだろう。
草叢
上の写真左側のフェンスから川越街道に向かって見る。
この一角は水路敷というより草叢になってしまっている。川越街道の向こうは陸上自衛隊朝霞駐屯地となっており、水路をたどることは出来ないが、和光市議会の記録などから駐屯地の排水が越戸川へ流れ込んでいるらしい。
上流端
川越街道側から見る。
ここが、徒歩で到達できる上流端ということになるだろう。それにしても、最後までものすごい段差の擁壁だ。
川越街道
川越街道に回ってみると、越戸川がある部分だけ道路が凹んでいるのがよく分かる。
前のページの地図でも、かつては左の駐屯地(旧米軍基地キャンプサウスドレイク)の中に源流があったのだと思われる。
七ツ釜の謎
最後に源流とされる湧水池「七ツ釜」の位置を巡る謎で締めくくろう。
前出の「広報わこう」によれば、七ツ釜は現在の東京メトロ和光車両基地(和光検車区)内にあり、近くには現在も池があるという。ねりまっぷで平成20年(2008年)の空中写真をみると、たしかに留置線が東西に分かれているあたりに不自然な空き地と、その南側に池らしきものが見える。
しかし、一説によれば七ツ釜は朝霞駐屯地内にあり、左の写真で水色に塗った窪地がその場所であるという(雨が降った後は、水たまりもできるようだ)。自衛隊の基地公開で実見された方もいるようで、こちらの方が源流にはふさわしそうだが、はたして。
車両基地
最後の最後、おまけで和光検車区。
「図説日本の鉄道 中部ライン第12巻 東京都心北部」(川島令三編著、2011講談社)を参考にしてみると、オレンジ色の札が掲げられている16番線と、ピンク色の17番線の間に空き地と池はあるようだが…

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