工場とマンションの間を抜けていく水路敷。
工事現場の脇を抜け、上流端を目指す。
行き止まりになったところが上流端。水路はもともとこの先にある蓮根川のむつみ橋児童遊園あたりから分かれていたらしいが、痕跡は残っていない。
上流端近くの電器店に置かれた乾電池の自動販売機。懐かしいタイプだが、すでに稼働はしていないようだ。
さて、志村公園まで戻って出井川本流をたどって行こう。
志村公園の中には御成塚というわずかに盛り上がった塚がある。志村公園は御成塚通りからは東に少し外れた位置にあるのだが、名前はこちらが元のようで、徳川吉宗が鷹狩りをしたときに指図をした場所なのだという。
御成塚の脇を抜け出井川をさらに南へ。
環状8号線を渡り、水路敷はさらに南へ。
不自然な空き地は植え込みだったのか児童遊園だったのか。
都営三田線が見えてきたところで水路敷は高架に沿って西へ曲がっていく。
三田線沿いの水路敷は自転車駐車場として使用されている。
都営三田線ガード下には「463」という名称のアーケードがある。463とはなんぞや、と思ったが「し(4)む(6)ら さん(3)ちょうめ」か!
志村三丁目駅の北側を通り抜けた自転車駐車場が終わったところで、水路敷は三田線のガイドをくぐって南へ向かう。
都営三田線が出井川を渡る橋梁には、その名も出井川橋梁という名前が付けられている。
出井川橋梁の南側、遊歩道に怪しい黄緑色の小屋らしきものが建っていた。柵よりの壁に「管理者 東京都下水道局」とあり、どうやらこの下にある暗渠の換気塔らしい。
ふと気がつくと、遊歩道の東側にはものすごい崖の上にマンションが建つ光景が見えた。
志村第四中学校脇の小道を進んでいく。
所在なげなベンチの先で遊歩道は首都高速5号線下の道路に突き当たっていた。