交差点に出たところ、右側に曲がるとすぐ現在の前谷津川緑道があるが、旧流路はまだ上流に続いている。
くねくねと曲がりながら、旧流路は前谷津川緑道に向かっていく。
前の写真で左側(東側)に見えている畑の向こうは谷筋になっている。前谷津川との分岐点に向かう前に、こちらに寄り道してみよう。
畑のところに道や水路敷はないが、畑の東側に回り込んでみると微妙に谷間があるのがわかる。
谷になっている道を東へ進む。北側は斜面になっているのが見て取れる。
道路はすぐに行き止まりで、谷に沿った道や水路敷はないようだ。
左に曲がって斜面の下に突き当たったところに、青面金剛庚申塔が置かれていた。宝永地震や富士山の宝永大噴火が起こった宝永4年(1707年)の造立というからかなり古いものだ。
右側には文化15年(1818年)造立の馬頭観音が置かれている。左にも庚申塔文字塔がある。
その庚申塔(写真奥に写っている)のすぐそばに地蔵菩薩がある。右に見える階段の上には京徳観音堂がある。観音堂は江戸時代中期創建とされるが、延文6年(1361年)の宝篋印塔が残るなど江戸時代以前から仏教施設があったらしい。
地蔵菩薩のところから階段上にある京徳観音堂を臨む。
観音堂の南東側、西徳第二公園の向かい側は窪地になっている。崖上に見えているのは板橋区立志村第五小学校の校舎だろう。
南側に崖を抱える西徳第二公園を眺めながら、谷底の道を進む。
道路は駐車場に突き当たったところで二手に分かれるが、左側の道路が坂を上っていくのがわかる。
坂を上ったところに円福寺法蔵庵がある。円福寺そのものは谷の向かい側(南側)にあり、境外堂ということらしい。入り口に山門はないが、左右に正徳6年(1716年)造立の青面金剛庚申塔と、享保4年(1719年)造立の地蔵菩薩、さらにその右側には六地蔵が並んでいる。
法蔵庵から駐車場を振り返る。駐車場が谷底になっているのがよくわかる。
谷の南側にある円福寺は、実際には北から
西台中央通りを上ってくる谷と、東側の蓮根川から西台公園に沿って
西台不動尊の方へ上ってくる谷と、今回歩いてきた前谷津川から南東へ上ってくる3つの谷の谷頭にあたる位置にある。
山門脇にある由緒書きによれば、元は川越にあった太田道灌開創の寺を慶長13年(1608年)に移設したものという。
さて、再び前谷津川の旧流路へ。谷筋を左に眺めながら進んでいくと、旧流路はいったん前谷津川緑道が見えるところまで出てくる。
ここが分岐点かと思いきや、まだ少し上流に続いているようだ。
ぐるっと回り込んだところが緑道との分岐点だった。
前谷津川緑道から分岐点を見る。分岐点は緑道が
不動通りの谷と合流するすぐ北側にあった。