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桃園川の水路敷群(末広橋〜三味線橋)その3
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宮前公園
金剛橋西側にある宮前公園の脇を桃園川緑道が進む。宮前は宝仙寺近辺の旧町名。
金渓橋
昭和な住宅が建っている金渓橋。
蛍
緑道の路面には蛍を描いたタイルがはめ込まれている。
蛇行
金渓橋から上流では、桃園川はやや南へ蛇行している。緑道の南側は小さな崖になっていて、上流側から見れば川が崖にぶつかって北に逸れたという方が正しいのかもしれない。
モモガルデン
堀越高校の向かい側、桃園川緑道の左岸にある古民家カフェ「モモガルデン」。昭和23年築の二軒長屋を改築したとある。
慈眼堂橋
現在は新中野駅近くにある慈眼寺が江戸時代までこの近くにあったことが橋名の由来だという慈眼堂(じげんどう)橋。
この写真は2020/11/7撮影。
仲園橋
この辺りの旧町名は仲町だが、橋の名前は仲園橋。
ここからの写真は2020/8/30撮影。
北裏橋
親柱がちょっと特徴的な北裏橋。
遊具
北裏橋西側には遊具が置かれている。
三味線橋
もみじ山通りに架かる三味線(さみせん)橋が見えてきた。
由来
橋のたもとには由来を描いた石碑がある。この橋から北へ向かい新井薬師に参詣する人が多く通っていたそうだが、「しゃみせん」でなく「さみせん」と読ませているのはなぜだろう。
宝仙寺
おまけで桃園川南側にある寺社仏閣巡り。まずは何回か名前が出てきた宝仙寺。後三年の役(1083〜87年)に勝利して凱旋する途中に源義家が建立したと伝わる古刹で、境内には阿吽の仁王像が立つ山門、中野町役場跡の石碑、平成4年(1992年)に再建された三重塔、神田川で製粉に使われていた石臼を集めて供養した石臼塚など見所がいろいろ。
ここからの写真は2020/11/7撮影。
三重塔
再建された三重塔の手前に石臼塚がある。
相輪?
はて、境外にも相輪のある仏塔があったかな…
って携帯基地局のアンテナ(苦笑)
建物の形もあいまってストゥーパのように見えた。
やままさ
宝仙寺墓地の南側にある「やままさ醤油醸造所のレンガ塀」。明治32年(1899年)のものとされる。味噌、醤油、蕎麦粉は青梅街道沿いの中野の地場産業だったのだそうだ。
第六天社
だいぶ荒れているが、金剛橋から宝仙寺西側の谷筋を上っていく途中の脇道にある第六天社。
明徳稲荷神社
谷筋を上り切ったところにあるのが明徳稲荷神社。ここはこのあたりの名主だった堀江家の鬼門(東北)に置かれたものという。堀江家は戦国時代の弘治元年(1555年)に越前(福井県)から来てこの地を開墾したといい、墓所は宝仙寺に残されている。
白玉稲荷神社
慈眼堂橋から慈眼寺に向かう途中に、中野坂上とは別の白玉稲荷神社があった。
慈眼寺
江戸時代に青梅街道の鍋屋横丁近くに移ってきた慈眼寺。なんだかタイ仏教っぽいと思ったらタイの寺院から請来した仏舎利を納めた仏舎利塔があるのだそうで。

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