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桃園川の水路敷群(新堀用水)その4
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消防署脇
青梅街道の北側、杉並消防署の脇に細い道がある。どうやらこれが支流の上流端らしい。
ここからの写真は2020/12/26撮影。
須賀神社へ
さて、本題に戻って水路敷を須賀神社に向かっていこう。
境界標
前の写真右下に見えているのは、なぜか地面から飛び出している境界標。つまづく人もいたのだろう、カラーコーンを置いていたのだと思うがコーンの本体がなくなってしまっている。
須賀神社脇
須賀神社脇の交差点に出た。ここから上流は道路の一部になっているようだ。写真奥の方に見えるマンションの敷地にかつては弁天池があったという。
境内
初詣の準備が進む境内。須賀神社は言い伝えでは天慶4年(941年)、平将門の乱を鎮圧したときに創建されたという話があるが、そうとう古い神社であることは間違いないだろう。
弁財天
その須賀神社の西側に、こじんまりと祀られている成宗五色弁財天。ここにはもともと湧き水があり、新堀用水を通す際に用水の中継地として勢いをつけるために拡張した池が使われたという。掘り出した土で富士塚を作ったというが、現存していない。
ガードレール
弁財天を過ぎて上流へ向かう。都立杉並高校の前に沿って道路の左側だけにガードレール付きの歩道があり、かつてはここが側溝だったのではないかと思わせる。
脇道
杉並高校を通り過ぎたところで、善福寺川の方向に向かって車止めのついている脇道がある。
遊び場24番
脇道は「遊び場24番」と名付けられた空間になっているが、奥は行き止まりになっていて善福寺川の方へつながっているわけではない。
合流点
正面、突き当たりのように見えるところでガードレールは左(南)に向きを変えているのだが、広場堰から直行してきたトンネルはまっすぐ進んだ先に出てきていたという。その痕跡は現在残っていない。
とまれ
水路敷が曲がる場所の横断歩道に描かれたワニの「とまれ」標識。ここも水路敷の交差点、ということで描かれているのだろうか。
南へ
南へ向かう道路もやはり左側にガードレール付きの歩道がある。
成宗城址
途中でガードレールがなくなるあたり、右側は現在共立女子大学の寮があるが、丘になっている部分にはかつて成宗城があったという。城といってもいわゆる居館(やかた)で、城主は大橋氏とも中野氏とも言われていてはっきりしないようだ。
最初に掘られたトンネルはこのあたりで水路敷に合流していたらしい。
金太郎その1
成宗城址をすぎたところ、住宅の塀の前に金太郎の車止めが残っている。ここから先は杉並区でもおそらく最も金太郎が密集している場所なのだが、とりあえずこの金太郎はあまり車止めとしての役にはたっていない気もする。
金太郎と水路敷
住宅を回り込んだところに、水路敷によくあるコンクリートブロックの脇に立つ金太郎の車止めがある。写真の中に4つの金太郎が写っている(手前に向かい合って2つ、奥にも同じく2つ)のだが、まだこれで終わりではない。
ここでは植え込みが歩道と車道の間にあるので、やはり車止めとしてはあまり役に立っていないような気もする。
金太郎その2
一番手前の金太郎を南を向いているので上流側から撮影。残念ながら痛みが激しく、金太郎がほとんど見えない。
金太郎その3
北を向いている方は若干マシだが、やはりかなり損傷してしまっている。

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