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白子川周辺の水路敷群(下流端〜成和橋)その2
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明らかに水路敷
溝下橋から上流へ少し進んだ左岸側に、いかにも水路敷な脇道を発見。
未舗装
舗装してあったのは分岐した辺りだけで、その先は未舗装の水路敷が続いている。
写真の左右で草の刈り方に違いがあるように見えるのは意味があって、矢印のあたりに都県境の標識が埋められているのだ。
境界標
削れてしまって読めないが、右が和光市の境界標。左は野球のボールではなく、真ん中に「イタ」、周りに四つの「ハ」で判じものになっている板橋区の紋章だ。ここに都県境が走っている。
旧白子川遊歩道
実はこの空間、「旧白子側遊歩道」という名前が付いていた。和光市と板橋区で仲良く管理しているようだ。いや、仲が良ければ草刈りに差が出ないような気がしないでもないが(笑)
砂利
標識の先で水路敷は大きく右に曲がり、砂利舗装路に変わる。ところで、写真左に見えている手すりの先は遊歩道の途中出口になっているのだが、出た先も実は別の水路敷があるのだった。
別水路敷
いったん白子川まで戻ってその別の水路敷を見る。右側の住居表示は板橋区成増一丁目で、こちらは都県境ではない水路敷。
成増橋へ
二重になっている内側の水路敷は三園通りが白子川をまたぐ成増橋のたもとへ向かっている。写真右手前のポールが、外側の水路敷から出てきたところ。
砂利水路敷
外側の砂利水路敷も三園通りに向かっていく。
脇水路
三園通りの手前で、北側に向かって分岐している水路があった。この水路は芝宮通りを越えて下新倉に向かって流れていくようなので、機会を改めて見ていきたい
この写真は、2018/5/19撮影。
吹上稲荷の庚申塔
バス通り(三園通り)に合流する場所には、庚申塔が立っている。中央が宝暦10年(1760年)造立の銘がある青面金剛像。左は享保19年(1734年)造立の銘がある橋供養塔。
吹上稲荷神社
ところでこの庚申塔の後ろに、なぜか「吹上稲荷神社」と書かれた扁額が置かれている。近くに吹上観音と豊川稲荷神社はあるのだが、かつてはここにも神社があったのだろうか。
大山不動明王
そして、三園通りを挟んで向かい側には左に天明4年(1784年)の銘がある大山不動明王と、右に文化9年(1812年)の銘がある大山石尊不動明王。手前には嘉永元年(1848年)の銘がある水行場とある碑が置かれている。
分かれ道
不動明王の先で、水路敷は道路から右へ分岐していく。この先は私有地になっているようで、水路敷をたどることはできない。
暗渠跡?
いったん吹上観音下交差点から市城(いちしろ)通りへ出てみる。通りの川よりに、妙に幅広い歩道があるが、かつては開渠があったようだ。さきほどの旧流路とは別に、白子川から分流した用水路だったのかもしれない。
吹上観音
ちなみに吹上観音はこんな立派な山門を持った東明禅寺のこと。天平年間(8世紀)にかの行基が開山したと伝わる。
行き止まり
さきほどの用水路らしき歩道を進んでいくと、徐々に市城通りから分かれて白子川へ向かっていく。途中、マンションの南側で封鎖された階段があり、そこから先はいかにもな水路敷となる。写真は上流側から階段を撮影したもの。
合流
水路敷はすぐに生活道路になり、写真奥の工場で行き止まりとなる。かつてはそこで左に曲がって白子川から水を引いていたようだ。その対岸にはかつての流路があったらしいのだが、都営成増五丁目第2アパート建設時に付け替えられてしまい残っていない。

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