環状8号線の練馬北町陸橋南側へ回り込んだ。かつて水路はさらに南へ向かって続いていた。
環状8号線と旧水路の分岐点に、大きな庚申塔が立っていた。左側には文政4年(1821年)に建てられたとあるので、徳川家斉時代のものということになる。
水路跡を南へ少し進んだところに、かつて東武啓志線が走っていた。昭和22年の地図から推定すると点線のあたりだと思うが、現在ではまったく痕跡が残っていない。強制収用された土地に突貫工事で建設された軍需路線だったこともあり、廃止後に残った痕跡は少ないようだ。
住宅街に入って道路が狭くなってきたところで、水路跡は右へ曲がっている。
雪の残る歩道が水路部分。
南側から水路敷が合流してくる。とりあえず先に距離の短い西方向を先に見ておこう。
都営平和台二丁目アパートが現れたところで水路はいったん北に向かい、すぐに西へ。
アパート敷地内の通路が水路敷らしい。
通路を通り抜けさせてもらい、抜けたところで北を見ると環状8号線が見える。環八に突き当たったあたりが、この流れの上流端と思われる。
さて、少し戻って南側の流れを追ってみよう。うっすらと水色のペイントと「水路敷」の文字が描かれている細道を進んでいく。
すぐに突き当たって西向きに曲がると、遊歩道として続いていた。
途中、黒猫と目が合ってしまった。敵意がないことをアピールしつつ横を通り抜けさせてもらう。
わずかに南へ曲がったところで道路に出た。そのまま道路西側に水路敷が残されているようだ。
祠のある交差点に出た。
交差点脇にあった祠は文字塔の下に三猿の浮き彫りがある珍しいタイプの庚申塔だった。
その隣には、西本村御嶽神社が祀られている。Google Mapではなぜか「地蔵堂」と書かれているが、武蔵御嶽神社を勧請した御嶽神社である。
同じ敷地には稲荷神社も祀られており、延宝年間(1673〜1681年)にはすでに地元で信仰されていたという。御嶽神社は境内社の扱いらしい。
ところで、今更ながらページタイトルにもなっている「西本村」だが、下練馬村時代にこの辺りの小名(小字)を「本村」と言ったそうで、平和台一丁目から錦二丁目あたりには「東本村」という地名も残っている。