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田柄用水(桜川〜棚橋)その2
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カーブ
今神橋の西側で遊歩道は北に向かって曲がっている。今神は下練馬村の字名だそうだ。
円明院
次の円明橋(えんみょうばし)の交差点を右に曲がったところにあるのが、真言宗豊山派の円明院。文亀5年(1502年)の板碑が発掘されたことから、1500年前後の創建と推定されている。境内には穴守弁財天が祀られており、古くから弁財天信仰が行われていたらしい。
合流
円明院の先で、遊歩道は道路と合流して並走していく。写真奥には横寺橋というなんともそのままな名前の橋がある。
渡戸橋
渡戸橋の先では遊歩道は道路と別れてまっすぐ進んでいく。
東本村庚申講
渡戸橋のたもとには「東本村庚申講」という石柱のある青面金剛庚申塔が祀られている。貞享2年(1685年)造立という。
東本村も下練馬村の字名であった。
弁財天
渡戸橋を北に進むと、遊歩道脇に弁財天が祀られていた。
金乘橋
次の金乘橋跡。水路敷がかなり幅広いのがよくわかる。橋の名前は近くにある金乗院から来ているらしい。
北町橋
北町にあるから北町橋。
水路敷
金乘橋と北町橋の間、都営錦一丁目第2アパートの東側に水路敷と思しき細道が残されている。
改修される前の田柄川は現在の遊歩道よりも一つ東側の道路あたりを流れていたようなのだが、そこに流れ込む小さな湧水があったのかもしれない。
高徳橋
川越街道を越える場所には高徳橋があったらしい。写真はそこから下流方向を見たもので、結構大きなブロンズ像が建っている。
台座には銘板があり、田中昭という富山県生まれの彫刻家の作であるそうだ。田中氏の彫刻は練馬区内の公園などにもいくつか建てられている。
北町一丁目
北町一丁目バス停の脇から、田柄川は川越街道の北側に渡ってさらに上っていく。
案内板
だいぶ痛みの激しい案内板が置かれていた。
下宿橋
下宿橋の先には、東武啓志線が鉄橋で田柄川を越えていたはずだが、痕跡はまったく残っていない。川越街道の南北には、啓志線に沿って道路に沿わずに斜めに建っているアパートなどが残っているが、廃線跡を辿るのは難しい。
橋
途中、橋を模した通路があるが、本来は川に架かっているはずの橋が川の流れに沿って架かっているのはどうしたものか。
棚橋
田柄川緑道は環状八号線にぶつかって一度途切れている。
石碑
棚橋の脇に置かれていた石碑。かつての棚橋は富士大山道、その後の富士街道が田柄川を越える場所に架かる橋であった。
下流方向
棚橋から下流方向を見る。

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