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赤羽線(埼京線)の踏切
地図その1
OpenStreetMapで王子新道から十条駅までを見る。
今回は連続立体交差事業が発表された十条駅前後の踏切を眺めに行く。池袋と赤羽の間は現在埼京線として運用されているが、路線名としては赤羽線となっており、各踏切にも赤羽線と記載がある。
王子街道踏切
赤羽線が石神井川を渡って北側にある王子街道踏切。坂道の途中にあるこの踏切は十条駅周辺の連続立体交差事業の対象外になっているため、このまま存続することになる。
ところで、写真の道路は王子新道という名前で、王子街道ではないのだが。
ここからの写真は2022/9/25撮影。
原町踏切
十条富士見中学校北側にある原町踏切。連続立体交差事業は原町踏切の南側から始まるので、この踏切は立体交差化で廃止される予定となっている。
十条道踏切
十条駅南側の十条道踏切。写真手前の警報機には遮断桿がなく、写真では手前側になる歩道の方に遮断桿があり、歩道と車道を一気に遮断する形になっている。
東西に渡る都道455号(補助85号線)は現在拡幅工事が進められている。
遮断桿
歩道側にある遮断桿と写真奥に見える詰所。
踏切警手
この十条道踏切は、いまでは珍しい踏切警手が配置されている。運転免許の試験問題に出てくるだけで実際に見たことがある人は少なそうだが、踏切警手とは踏切の安全を通過する列車の乗務員に知らせる役割を持っている。以前は踏切の開閉操作もしていたと聞くが、現在は写真のように踏切の遮断を確認して白旗を振って列車に安全を知らせているだけのようだ。
踏切跡?
ところで、若干南に戻る格好になるが、十条道踏切の東手前で南向きの道路を進むと、線路に斜めに道路がぶつかる場所がある。古地図でみるとそのまま道路が反対側に渡っていたように見えるので、名前はわからないが踏切だったのかもしれない。
Q地図
(追記)全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961-1962年)によれば、この位置に踏切が描かれている。
観音堂
踏切と踏切跡の間には、上十条一丁目観音堂と名付けられた小さな祠がある。銘板によれば、文化9年(1812年)造立と伝わる馬頭観音等と、天保15年(1845年)造立の庚申塔文字塔が安置されている。
地図その2
十条駅から環状七号線の富士見橋までを見る。
十条駅の北側には、今回の連続立体交差事業で廃止される予定の4つの踏切のほか、踏切跡と思われる場所がさらに4ヶ所ある。
十条駅
十条駅西口脇の道路から南向きに下りホームを見たところ。古地図では写真奥の道路がホームに突き当たって手前側に曲がってくるあたりで、そのまま斜めに踏切で赤羽線を越えていたように見えるが、ホームの延長により痕跡は残っていない。
連続立体交差事業で十条駅は高架化されるので、高架下の道路として復活するかもしれない。
仲道踏切
十条駅ホーム北側にある仲道踏切。踏切の両側は西が十条銀座、東が十条中央商店街となっており、古くからの街はこちらの方が中心になっていたようだ。
踏切跡か
十条銀座を抜けて線路の西側を北へ。富士道踏切の南側に線路に突き当たって北向きに曲がる場所があるのだが、古地図ではここにも踏切があったように見える。線路の東側にも突き当りの道があるので、元はつながっていたのだろう。
富士道踏切
その北にある富士道(ふじみち)踏切を東側から見たところ。片側一車線に歩道がついた比較的大きな踏切だ。
仲原踏切
さらに北へ進んで仲原踏切に至る。ここも片側一車線と歩道があるが、富士道踏切とくらべるとやや小ぶりな印象。
北仲原踏切
次の北仲原踏切は歩行者専用。東西の道路は自動車が走れる幅があるのだが、車道になることはなく連続立体化で廃止されることになるのだろう。
踏切跡
北仲原踏切から富士見橋に向かって線路の西側を進んでいくと、住宅の間で道路が線路に阻まれてぶっつりと切れている場所がある。古地図では、ここにも踏切があったように描かれている。
富士見橋
環状七号線が赤羽線を超える富士見橋から南を見る。矢印のところが環七ができる前の旧道で、かつてはそこに踏切もあったと思われる。
富士見橋の南側は石神井川に向かって下っているので、かつてはここから富士山がよく見えたことだろう。ところで、写真左の銘板は点のない「冨」になっている気がするのだが。
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