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山手線の踏切
地図その1
OpenStreetMapで田端駅から巣鴨駅までを見る。
今回は山手線最後の踏切である第二中里踏切から、山手線を内回り方向へ進んで踏切跡を探していく。
第二中里踏切
山手線が上野から田端へ上野台地の縁に沿って北上していたところから、西へ大きくカーブした後、上野台地の上に出たところにあるのがこの第二中里踏切。写真奥には中里橋があり、貨物線はそちらを掘割でくぐっているのだが、地上を走る山手線には1925年(大正14年)に造られた踏切が残されている。
中里第二踏切は、池袋の長崎道踏切が2005年(平成17年)に廃止されて以降山手線に最後に残された踏切となっているが、写真左(東)側に少し行ったところに補助92号線が建設中で、2029年度に完成すると廃止される予定となっている。
ここからの写真は2022/9/19撮影。
通過
第二中里踏切を通過する山手線外回りの電車。
第一中里踏切跡
第二があるなら第一もあったはずだが、第一中里踏切は第二の西側で丁字路になってしまっている。
高電圧電線注意
かつての踏切脇になぜかそのまま残されている「高電圧電線注意」の看板。さきほどの第二中里踏切にも同じ看板があったが、こちらはすっかり錆びついてしまっている。
地図その2
巣鴨駅から大塚駅までを見る。
谷田川の谷を山手線は高架で越え、本郷台地では掘割で進むため踏切はないのだが、本郷台地の西端で谷端川(小石川)の谷をまたぐ高架線に出るところ、江戸橋通りの西側に古くは平松踏切があったという。
平松踏切跡
東側の江戸橋から大塚駅方向を見たところ。写真奥に台地と谷の境目があり、線路と崖が交差するあたりに平松踏切があったらしいのだが、北側(写真右)は学生会館になっており、踏切に向かう道路すら残っていない。山手線が複々線化される前の1924年(大正13年)に、第二中里踏切と入れ替わるように廃止されたらしい。
平松架道橋
その西側、線路が高架になったところに踏切の代わりに作られた平松架道橋のガードがある。
都電
大塚駅は谷端川の谷の中にある。大塚駅北口の都電荒川線は、踏切というよりは遮断機もなくただの歩道に警報機が付いているだけになっている。
地図その3
大塚駅から池袋駅までを見る。
大正末期に廃止された東側の二つの踏切と池袋駅北側の踏切(WE ROADの北側)は名前もわからないが、その間の3つの踏切は長らく現役だった。
旧踏切跡
大塚駅からさらに西へ向かう。空蝉橋と栄橋の間、池袋に向かって山手線が谷端川から小石川・目白台地の崖を上っていくあたりに踏切があったという。
南側の方が高台になっており、南側から坂を下って行き線路に突き当たったところが山手線が掘割になる前は踏切であった場所。道路は北側にまっすぐ進んでいるのだが、踏切は写真左寄りに伸びていたらしい。
ここからの写真は2022/12/18撮影。
栄橋
さきほどの踏切が廃止された際に代わりに作られた栄橋。南北で高低差があるので、北側は大幅にかさ上げして高さを合わせている。
西巣鴨橋
西隣の西巣鴨橋は山手線が複々線化で北側に増線となった昭和34年(1959年)に架橋された旧橋が撤去され、現在架け替え工事中のため通ることができない。
旧道
北側から西巣鴨橋の西側にある側道を進むと、二又に分かれる場所がある。古い空中写真を見ると時代によって変遷があるのだが、右側の道路の先が踏切だったらしい。
踏切跡?
西巣鴨橋西脇の旧道を南側から見たところ。西巣鴨橋が架かるまでは、ここから先ほどの道路に向かって踏切があったらしい(人道橋となっていた時期もあるという)。
旧旧道
その西側、斜めに線路に突き当たる道路がもっとも古い踏切の跡と思われる。
宮仲橋
次の宮仲橋は平成5年(1993年)に廃止されるまでは貨物線側に踏切があり、第一鎌倉踏切という名称だった。
堀之内橋
明治通りが山手線を渡る堀之内橋を、南側の旧道から見たところ。第一鎌倉踏切と同様、平成5年までは貨物線側に新田道踏切があったが、明治通りができる前はこちらの旧道に踏切があったのだと思われる。
複々線
堀之内橋から大塚方面を見たところ。右奥に見える東京スカイツリーのほうへ伸びている貨物線は平成2年(1990年)まで地上を走っており、連続立体交差化工事によって平成5年に大宮駅方向が、平成7年(1995年)に池袋駅方向が掘り下げられ現在の状態となった。
六ツ又陸橋
首都高5号線と川越街道が山手線を越える六ツ又陸橋。首都高速が開通した昭和39年(1964年)に陸橋となる前は、貨物線側に踏切があったという。鉄道博物館には、この踏切に掲示されていた板橋間道踏切という看板が展示されているらしい。
池袋大踏切跡
池袋大橋の南側、現在池袋駅前公園の一角となっている場所に第二鎌倉踏切、通称池袋大踏切があった。貨物線と赤羽線が踏切で、途中の山手線は橋で渡るという大きな踏切だったそうだ。
昭和22年
国土地理院Webサイトから米軍撮影の昭和22年空中写真に踏切を書き込んでみた。この時点ではまだ西巣鴨橋の南側にも踏切がある。左側の3踏切は交通量も多く、渋滞がひどかったであろうことが容易に想像できる。
池袋四面塔尊
公園の南側にある池袋四面塔尊。享保6年(1721年)に辻斬りで亡くなった身元不明の被害者を供養するために建てられたという。この四面塔尊の右側のあたりに、明治から大正初期に踏切があったという。
現在WE ROAD(ウイ・ロード)と名付けられている雑司が谷隧道が完成した大正14年(1925年)に廃止されたとされる。
この写真は2022/9/19撮影。
ウイロード
昭和61年(1986年)にウイ・ロードと名付けられた雑司が谷隧道は令和元年(2019年)の改修時に美術作家植田志保氏のペイントが施され、非常に明るい雰囲気になった。
この写真は2022/12/18撮影。
長崎道踏切
最後に池袋駅南側の長崎道踏切跡。平成17年(2005年)に廃止された山手線最後から2番目の踏切だった。
この写真は2011/8/6撮影。
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