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駒場東大前1号~駒場東大前4号踏切
地図
OpenStreetMapで駒場東大前駅から池ノ上駅までを見る。
井の頭線が通る前は帝大農学部附属農場が広がっていた一帯で、西側の崖上は現在東大航空研究所となっている。
東から空川(そらかわ、目黒川の支流)の谷、西側は北沢川支流の谷が線路に向かっているが、起伏の激しい地形を築堤や堀割りでまっすぐ井の頭線が進んでいく。
駒場東大前1、3、4号踏切は現在も現役だが、廃止された2号踏切は場所を明記した資料がなく正確な位置がわからない。古地図や空中写真から、踏切跡と思われる場所を探していくことにしよう。
駒場東大前駅
駒場東大前駅西口は空川の谷の中にある。谷筋は写真右の線路下を抜けた東大敷地からくるものと、写真正面の駒場野公園からくる流れがここで合流している。
このページの写真は特に記載がなければ2024/1/19撮影。
駒1
目黒区立駒場小学校の正面にある駒場東大前1号踏切。
駒場駅跡
踏切の東側には、駒場駅のプラットホーム跡が残っている。駒場駅は昭和40年(1965年)に渋谷寄りの東大前駅と統合され、現在の駒場東大前駅となった。
この写真は2024/1/23撮影。
渡り線
踏切西側には渡り線(亘線とも書く)がある。非常時の折り返し用に設けられたようにも見えるが、鉄道ピクトリアル2024/3(鉄道図書刊行会発行)P68の記事によれば長い間使われていないそうだ。
ケルネル田んぼ
踏切南側には帝大附属農場跡地に造られた駒場野公園があるが、その北側で線路に沿っている部分にはケルネル田んぼという目黒区では唯一の水田がある。田んぼの名前になっているケルネルという人物はドイツから招かれた農芸科学の教師で、農学校(帝大農科大学の前身)の実習田として造られたこの田んぼに名前が残っている。
擁壁
ところでケルネル田んぼの東側、駒場児童館から駒場駅跡を見てみると駅跡は田んぼとの境目の擁壁になっているのがわかる。駅ホームを解体する時に擁壁を撤去するわけにもいかずに残ってしまったのかもしれない。
この写真は2024/1/23撮影。
昭和38年
さて、消えた駒場東大前2号踏切を探すために国土地理院Webサイトの昭和38年の空中写真(国土地理院撮影)を見てみよう。
はっきりとした踏切跡はないが、現在の都立国際高校の前(地図右寄り)と、旧会計監査院池ノ上宿舎東側(地図左寄り)の2箇所に、線路を跨いでいる道路のような痕跡が見える。
右寄りの場所は線路北側の空川を埋め立てて造られた駒場ロッジの本館西側にあたるが、今昔マップの1927〜1939年では帝大農場内の道路のように見える場所にあたる。
左寄りの場所は東大航空研究所構内の道路が北側線路脇を通っている場所だ。
駒場ロッジ
線路南側の道路から駒場ロッジ(東京大学の留学生向け宿泊施設)を見たところ。写真奥の方で道路は地形に沿って高くなって井の頭線とは高低差があり、坂になる手前のあたりが空中写真で踏切跡と疑われる部分になるがそれらしい痕跡は残っていない。
航空研究所
西側へ向かって東大航空研究所南側へ。自動車がいる未舗装の部分が踏切跡と疑われる部分になるがこちらも踏切跡だという確証は持てない。いずれにせよ、線路の北側は東大の敷地なので踏切があったとしても誰でも通れるわけではなく、実際には欠番だったのかもしれない。
廃宿舎
前の写真から西側は北沢川支流の谷へ下っていくが、線路南側には旧会計監査院池ノ上宿舎がある。写真手前にある看板はここが国有地であることを示しているが、現在一帯は廃団地状態になっていてフェンスで覆われ中に入ることはできない。国有地東側には南北に補助26号線の建設が予定されているものの、残る跡地の利用についてはまだ決まっていないらしい。
廃道北
ところで、今昔マップの1965年〜1968年には、宿舎中央を通る廃道の北側に踏切があるように描かれている。写真がその位置にあたるが線路北側は住宅密集地で道路はなく、この位置に踏切があったとは考えにくい。
駒3
北沢川支流の谷を通り過ぎて再び高台に登ったところに駒場東大前3号踏切がある。
行き止まり
この踏切、渡った北側の道路はすべて行き止まりになっていて通り抜けることができない。逆に言えば住民は踏切を渡らないと外に出られないという不思議な空間になっている。踏切上に電車が立ち往生してしまったらどうしたらいいのだろうか。
駒4
すぐ西側、池ノ上駅の脇には駒場東大前4号踏切があるのだが、北側の道はさきほどの踏切とはつながっていない。
取り残され
駒場東大前4号踏切は池ノ上駅のホーム延伸に伴って南側の取り付け位置を少し渋谷寄りに移動したらしく、ホーム先端の南側に旧踏切の柵がそのまま取り残されていた。
by Natrium