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柿生1号~4号踏切

OpenStreetMapで柿生〜鶴川間を見る。
この区間は東から麻生(あさお)川、片平川、藤ノ木川、真光寺川、鶴見川の流域になっている低地が広がっているが、鶴川駅寄りには踏切がない。
柿生という地名は明治22年(1889年)に周辺の10村が合併した際に、禅寺丸柿の産地であったことから名付けられたという。禅寺丸柿は建保2年(1214年)に麻生区王禅寺の山中で発見されたとされている。
この区間は東から麻生(あさお)川、片平川、藤ノ木川、真光寺川、鶴見川の流域になっている低地が広がっているが、鶴川駅寄りには踏切がない。
柿生という地名は明治22年(1889年)に周辺の10村が合併した際に、禅寺丸柿の産地であったことから名付けられたという。禅寺丸柿は建保2年(1214年)に麻生区王禅寺の山中で発見されたとされている。

柿生駅西側にある柿生1号踏切。
この道幅で自動車も相互通行なので、人や車のいない瞬間を切り取るのに苦労した。
ここからの写真は2025/11/7撮影。
この道幅で自動車も相互通行なので、人や車のいない瞬間を切り取るのに苦労した。
ここからの写真は2025/11/7撮影。

踏切から柿生駅下りホームを見る。柿生駅は現在では2面2線の相対式ホームになっているが、1977年までは上下線とも待避線のある島式ホーム2面4線の駅だった。現在待避線の後は通路などとして使用されている。

柿生2号踏切は麻生川を渡った先、北から台地が張り出してきている手前にあったが廃止されている。
ここからの写真は2025/11/14撮影。
ここからの写真は2025/11/14撮影。

踏切跡の南側は消防団の器具置場として使用されている。

柿生3号踏切は柿生陸橋の西側、川崎市から町田市に移って津久井道が坂を下ってきたところに南側の道路が斜めにぶつかっていくところにある。

柿生4号踏切は津久井道の藤の木交差点(交差点から西は鶴川街道)を南に曲がったところにある。写真は南側から藤の木交差点方向を見たところ。

ところで、藤の木交差点の東側、津久井道下り側に「藤の木」と書かれた小田急バスの停留所があるのだが、バス停の名称が書かれているだけでここを通るバスの営業路線はない。
ここには百合ヶ丘4号踏切跡近くの古沢橋にある廃バス停(平沢入口)と同じく神奈川中央交通バスの淵24系統が走っていたのだが、現在ここを走るのは小田急バスの新百合ヶ丘営業所から鶴川駅などに向かう回送バスだけだ。藤の木交差点の西側から北側に向かっては小田急と神奈中の路線があるが、循環路線のため西に向かう運行はない。
新百合ヶ丘・柿生間3つのバス停ではすでにバス停の名称も撤去されている(バス停のポールは残っている)が、ここ藤の木と鶴川駅寄りの妙行寺前バス停は名称だけ残っている状態になっている。
したがって理由は不明だがこの2つのバス停は廃バス停ではなく休止バス停ということなのだろう。
この写真は2025/11/10撮影。
ここには百合ヶ丘4号踏切跡近くの古沢橋にある廃バス停(平沢入口)と同じく神奈川中央交通バスの淵24系統が走っていたのだが、現在ここを走るのは小田急バスの新百合ヶ丘営業所から鶴川駅などに向かう回送バスだけだ。藤の木交差点の西側から北側に向かっては小田急と神奈中の路線があるが、循環路線のため西に向かう運行はない。
新百合ヶ丘・柿生間3つのバス停ではすでにバス停の名称も撤去されている(バス停のポールは残っている)が、ここ藤の木と鶴川駅寄りの妙行寺前バス停は名称だけ残っている状態になっている。
したがって理由は不明だがこの2つのバス停は廃バス停ではなく休止バス停ということなのだろう。
この写真は2025/11/10撮影。

さて、番号のついた踏切はこの区間ではこれで終わりなのだが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1968年)を見ると、鶴見川の本村橋から北に向かって道路が描かれており、そこに踏切があったように見える。

現在鶴川駅東口交差点から岡上(おかがみ)跨線橋が小田急線を跨いでいるすぐ西側、川崎市の飛地である岡上地区にある本村橋から北側の小田急線方向を見たところ。
現在道路はないが、町田市の下水道管理用地として通路が残っていて、小田急線に突き当たっている。ここには線路北側を流れる真光寺川から別れて県境に沿って鶴見川に流れてくる水路があったらしく、現在でも下水道として利用されているようだ。川崎市の地籍図では下水道敷地の西側に沿って道路があることになっている。
線路北側の方は、駅ロータリー東側の自転車駐車場内の通路がそれらしい場所にある。
ここからの写真は2025/11/14撮影。
現在道路はないが、町田市の下水道管理用地として通路が残っていて、小田急線に突き当たっている。ここには線路北側を流れる真光寺川から別れて県境に沿って鶴見川に流れてくる水路があったらしく、現在でも下水道として利用されているようだ。川崎市の地籍図では下水道敷地の西側に沿って道路があることになっている。
線路北側の方は、駅ロータリー東側の自転車駐車場内の通路がそれらしい場所にある。
ここからの写真は2025/11/14撮影。

さらに同地図の1961-1962年版を見る。ここでは本村橋北側に踏切はないように見えるが、一方で鶴川駅東側で細道が線路を跨いでいるように描かれている。

現在鶴川駅の南側では鶴川駅前土地区画整理事業が行われており、細道があったのかどうかすらわからない。
もっとも、区画整理の区域図と設計図を見ると将来南口駅前広場ができるあたりに線路を越える道路らしき区割りが地籍図に残っているように見える。
(なお、地籍図では線路南側だけが道路として描かれており、小田急線敷地内は払い下げられているようだ)
もっとも、区画整理の区域図と設計図を見ると将来南口駅前広場ができるあたりに線路を越える道路らしき区割りが地籍図に残っているように見える。
(なお、地籍図では線路南側だけが道路として描かれており、小田急線敷地内は払い下げられているようだ)

鶴川駅北口では2024/7から東側に移設された新しい交通広場の仮使用が始まっている。
鶴川駅周辺再整備事業の計画では、鶴川駅を橋上化して柿生寄りに拡張(ちょうど道路跡の上あたりになる)し、南北自由通路を造って一体的な開発を進めるようだ。
鶴川駅周辺再整備事業の計画では、鶴川駅を橋上化して柿生寄りに拡張(ちょうど道路跡の上あたりになる)し、南北自由通路を造って一体的な開発を進めるようだ。