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登戸1号~向ヶ丘遊園10号踏切

OpenStreetMapで登戸駅から神奈川県道13号線付近までを見る。
南武線との乗り換え駅である登戸駅まで複々線だった小田急小田原線は向ヶ丘遊園駅に向かって下ってくる間は暫定3線区間となっているが、コロナ禍後の輸送量減少もあり当面複々線化は行われないものとみられている。
南武線との乗り換え駅である登戸駅まで複々線だった小田急小田原線は向ヶ丘遊園駅に向かって下ってくる間は暫定3線区間となっているが、コロナ禍後の輸送量減少もあり当面複々線化は行われないものとみられている。

登戸駅は藤子・F・不二雄ミュージアムの最寄駅ということで駅名標などにドラえもん風の意匠が施されている。
この辺りは明治時代には橘樹郡稲田村大字登戸で、昭和30年(1955年)までは稲田多摩川という駅名であった(その後1958年に現駅名に改称)。
ここからの写真は2025/11/10撮影。
この辺りは明治時代には橘樹郡稲田村大字登戸で、昭和30年(1955年)までは稲田多摩川という駅名であった(その後1958年に現駅名に改称)。
ここからの写真は2025/11/10撮影。

エレベーターの入口がどこでもドアに。

向ヶ丘遊園駅東側にある登戸1号踏切は周辺で行われている登戸土地区画整理事業の進捗に伴って2025年度中に廃止される予定となっており、2023/6/5から自動車通行禁止となっている。
踏切の西側には代替通路となる歩道橋が作られているがまだ供用はされていない。歩道橋は自転車が通行できる構造にはなっておらず、自転車は東側の架道橋の下まで迂回することになるようだ。
なお、向ヶ丘遊園駅付近も稲田村大字登戸で、昭和30年までは稲田登戸という駅名であった。地名としての向丘(むかいがおか)はもっと下流側にあった長尾村などが合併してできた村の名前(当時は「むかおか」村)として明治22年(1889年)に新しく付けられた名前で、川崎市高津区の宮前地名さんぽ第2話「向丘」によれば小野小町の歌にちなんで長尾村の村長が名付けたものだという。高津区に向ヶ丘(むかいがおか)という町も残っている。
ここからの写真は2025/10/30撮影。
踏切の西側には代替通路となる歩道橋が作られているがまだ供用はされていない。歩道橋は自転車が通行できる構造にはなっておらず、自転車は東側の架道橋の下まで迂回することになるようだ。
なお、向ヶ丘遊園駅付近も稲田村大字登戸で、昭和30年までは稲田登戸という駅名であった。地名としての向丘(むかいがおか)はもっと下流側にあった長尾村などが合併してできた村の名前(当時は「むかおか」村)として明治22年(1889年)に新しく付けられた名前で、川崎市高津区の宮前地名さんぽ第2話「向丘」によれば小野小町の歌にちなんで長尾村の村長が名付けたものだという。高津区に向ヶ丘(むかいがおか)という町も残っている。
ここからの写真は2025/10/30撮影。

向ヶ丘遊園駅北口では駅前広場の整備が進んでいるが、写真の北口駅舎は昭和2年(1927年)に小田急が開業したときに作られたものがそのまま現存しているのだという。
屋根の形はギャンブレル屋根といい、上段が寄棟になっているマンサード屋根と異なる二面切妻二段勾配屋根(駒形切妻屋根)というものだそうだ。
南口の駅舎も2019年にリニューアルされて似たような外観になっている。
屋根の形はギャンブレル屋根といい、上段が寄棟になっているマンサード屋根と異なる二面切妻二段勾配屋根(駒形切妻屋根)というものだそうだ。
南口の駅舎も2019年にリニューアルされて似たような外観になっている。

南口ロータリーのモノレール駅跡を見たところ。写真奥の自転車駐車場になっているところに小田急向ヶ丘遊園モノレール線の向ヶ丘遊園駅があった。
現在生田緑地となっている場所にあった向ヶ丘遊園は平成14年(2002年)に閉園しているが、モノレールは平成12年(2000年)2月の定期点検で台車に亀裂が見つかったことで運行再開ができずそのまま翌年2月に廃止されてしまった。
現在生田緑地となっている場所にあった向ヶ丘遊園は平成14年(2002年)に閉園しているが、モノレールは平成12年(2000年)2月の定期点検で台車に亀裂が見つかったことで運行再開ができずそのまま翌年2月に廃止されてしまった。

向ヶ丘遊園駅下りホーム上屋の一部や、跨線橋には古レールが使用されている。
ここからの写真は2025/11/7撮影。
ここからの写真は2025/11/7撮影。

跨線橋を支える古レールには1923年の刻印があった。一番古いものは1911年製だそうだが、見つけることができなかった。

駅北口の自転車駐車場脇に残る向ヶ丘遊園1号踏切の入口跡。歩行者専用だった踏切は、地下通路完成に伴い2014年に廃止されている。
ここからの写真は2025/10/30撮影。
ここからの写真は2025/10/30撮影。

南側はファミレス脇の行き止まりになっている。

向ヶ丘遊園2号踏切は現在神奈川県道9号鹿島田管線が上を通っている二ヶ領本川(にかりょうほんせん)の西側にあった。県道の高架橋脚脇にある突き当たりがそれだと思われる。写真は北側から見たところ。

向ヶ丘遊園3号踏切は二ヶ領本川の東側にあった。小田急線は線路南側で二ヶ領本川に合流している五反田川の流れを遡るように沿って西へ向かっていく。

南に生田緑地の一部になっている枡形山を見ながら進んでいくと向ヶ丘遊園4号踏切がある。

踏切西側の丘の上には、室町時代の創建と伝わる枡形天神社がある。丘の下にある鳥居の前を通る道は南側にある専修大学の通学路になっていて、そこそこ人通りがある。

踏切北側から見た天神社の丘、というか山?

向ヶ丘遊園5号踏切は現存しない。4号踏切から西へ向かって天神社の丘西側にある谷間あたり(写真は南側から見たところ)にあったのではと思われる。

その西側に向ヶ丘遊園6号踏切がある。ここも専修大学の学生がよく通っているようだ。

向ヶ丘遊園7号踏切は現在神奈川県道13号浄水場通りの陸橋下あたりにあったと思われるが、それらしい跡は残っていない。

OpenStreetMapで向ヶ丘遊園7号踏切跡から生田駅までを見る。
そろそろ小田急線も都市部から山間部へ移行するため、踏切の間隔が空いてくる場所が出てくる。
そろそろ小田急線も都市部から山間部へ移行するため、踏切の間隔が空いてくる場所が出てくる。

陸橋脇にある交通安全地蔵尊。高架工事でここに移転したもので、古くは江戸時代の念仏講に由来するものだという。

小田急線と五反田川の北側を並走している神奈川県道3号津久井道(つくいみち)は多摩川の左岸側(東京都)では世田谷通り、西側の町田市内では鶴川通りと呼ばれているが、その津久井道の脇、コンビニの前に建つ三体の地蔵尊。

向ヶ丘遊園8号踏切付近は明治大学の通学路になっている。

五反田川と小田急線が交差する場所に向ヶ丘遊園9号踏切がある。
南側の崖上には鎌倉時代の創建と伝わる五反田神社の看板が見える。
南側の崖上には鎌倉時代の創建と伝わる五反田神社の看板が見える。

踏切南側に架かる五反田橋には、味わい深い書体の銘板が残っていた。昭和33年(1958年)竣工とある。

と、ここで踏切が終わりだと思っていたのだが、川崎市立中原図書館所蔵の「川崎市多摩区明細地図」(経済地図社, 1973)を確認したところ生田駅よりにもう一つ廃止された踏切があることに気がついた。
地図には「向ヶ丘遊園10号踏切」と記載されており、昭和48年(1973年)時点ではまだ踏切があったことがわかる。
五反田川右岸から対岸のコンビニを見たところだが、コンビニの左側には水路敷(写真左下に排水口がある)があり、右側には柵で塞がれているが廃道があってその先が踏切だったようだ。
ここからの写真は2025/11/12撮影。
地図には「向ヶ丘遊園10号踏切」と記載されており、昭和48年(1973年)時点ではまだ踏切があったことがわかる。
五反田川右岸から対岸のコンビニを見たところだが、コンビニの左側には水路敷(写真左下に排水口がある)があり、右側には柵で塞がれているが廃道があってその先が踏切だったようだ。
ここからの写真は2025/11/12撮影。

北側から向ヶ丘遊園10号踏切跡を見たところ。写真手前から線路に斜めにぶつかっている道路の先が踏切跡で、ちょうど生田駅ホーム東端あたりに位置していた。