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玉川学園前1号~8号踏切

OpenStreetMapで玉川学園前駅から恩田川付近までを見る。
この区間、玉川学園前4号踏切までは位置がわかっているが、5号踏切の位置がはっきりない。国土地理院Webサイトの1/3000地形図・南大谷(大日本帝國陸地測量部, 1943)を見ると、恩田川の左岸側には2ヶ所それらしい場所がある(恩田川右岸側にもある)が同サイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ても踏切としては確認できない。
この区間、玉川学園前4号踏切までは位置がわかっているが、5号踏切の位置がはっきりない。国土地理院Webサイトの1/3000地形図・南大谷(大日本帝國陸地測量部, 1943)を見ると、恩田川の左岸側には2ヶ所それらしい場所がある(恩田川右岸側にもある)が同サイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ても踏切としては確認できない。

玉川学園前駅南側にある玉川学園前1号踏切。駅付近は南から入り込んでいる細い谷間にあり、踏切東側(写真奥)は若干坂道を上る形になっている。
この写真は2025/11/14撮影。
この写真は2025/11/14撮影。

玉川学園前2号踏切はすでに廃止されており、西側のアプローチは防災倉庫などとして利用されている。
ここからの写真は2025/11/21撮影。
ここからの写真は2025/11/21撮影。

玉川学園前3号踏切は西側の通りから坂道を上ったところにある。

玉川学園前4号踏切は線路向こうの東側に坂道が見える突き当たりの道路にあったようだ。

さて、そこから南に進んで恩田川に向かう水路が小田急線をくぐっているところ。西側に線路に向かう突き当たりの水路敷が残っているが、昭和18年(1943年)の地形図では突き当たりに踏切らしきものがある。
ただし、水路敷が踏切のアプローチになっていたのではなく、地図上は南側(写真右)から斜めに道路が来て線路を渡っていた。道路の方は廃道になっていて現在は宅地化され痕跡は残っていない。
昭和22年(1947年)の空中写真ではすでに道路の方は見えず、踏切があるようにも見えない。
ただし、水路敷が踏切のアプローチになっていたのではなく、地図上は南側(写真右)から斜めに道路が来て線路を渡っていた。道路の方は廃道になっていて現在は宅地化され痕跡は残っていない。
昭和22年(1947年)の空中写真ではすでに道路の方は見えず、踏切があるようにも見えない。

線路西側に回って水路の出口を見たところ。水路は線路脇の柵が道路側にはみ出している場所に出てきて、写真左側にある水路敷に向かって流れているが、踏切は写真中央から右奥に向かっていたようだ。
また、写真奥で線路西側(右)の道路が高台に上っていくが、その手前にもう一つの踏切があったらしいがこちらも昭和22年の空中写真では確認できない。
また、写真奥で線路西側(右)の道路が高台に上っていくが、その手前にもう一つの踏切があったらしいがこちらも昭和22年の空中写真では確認できない。

OpenStreetMapで恩田川付近から町田駅までを見る。
位置がわかっている玉川学園前6号踏切跡よりも恩田川寄りに踏切跡と思われる場所があり、こちらが玉川学園前5号踏切という可能性がある。
位置がわかっている玉川学園前6号踏切跡よりも恩田川寄りに踏切跡と思われる場所があり、こちらが玉川学園前5号踏切という可能性がある。

国土地理院Webサイトから昭和22年の空中写真(米軍撮影)。
現在の玉川学園前7号踏切よりも恩田川寄りに2ヶ所踏切があるのがわかる。
現在の玉川学園前7号踏切よりも恩田川寄りに2ヶ所踏切があるのがわかる。

芹ヶ谷公園北側の道路から踏切跡を見たところ。実際には踏切跡は写真右側にあったようだ。小田急線とだいぶ高さに差があるので、坂道を下って線路を渡り、写真右奥に見える駐車場の右側に上って行っていたらしい。

玉川学園前6号踏切は写真左奥に見える中央橋(跨線橋)の町田駅よりにある北から斜めに突き当たる道路の先にあった。
空中写真を見ると写真奥で線路に下り、やや右寄りに線路を渡っていたようだ。古地図では線路の向こうに道が続いていたように描かれているのだが、町田駅付近は区画整理されているためそちらの道は残っていない。
空中写真を見ると写真奥で線路に下り、やや右寄りに線路を渡っていたようだ。古地図では線路の向こうに道が続いていたように描かれているのだが、町田駅付近は区画整理されているためそちらの道は残っていない。

写真右奥に小田急百貨店を望む玉川学園前7号踏切。

町田駅手前、旧町田街道が小田急線を渡る玉川学園前8号踏切。歩行者が多く、南側(写真奥)は11時から19時まで車両通行止めになる。