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鶴川1号~5号踏切

OpenStreetMapで鶴川駅〜境塚トンネル付近を見る。
鶴川駅と玉川学園前駅の間には玉川学園キャンパスが広がる台地(経塚山)があり、小田急小田原線はその下を境塚(きょうづか)トンネルでくぐり抜けていく。
鶴川駅と玉川学園前駅の間には玉川学園キャンパスが広がる台地(経塚山)があり、小田急小田原線はその下を境塚(きょうづか)トンネルでくぐり抜けていく。

鶴川駅西側にある鶴川1号踏切。鶴川駅では現在駅の南北で交通広場などを造る工事が進んでいるが、現時点では南口はこの踏切手前から下りホーム西端に向かっていくルートになっている。
このページの写真はすべて2025/11/14撮影。
このページの写真はすべて2025/11/14撮影。

鶴川2号踏切はすぐ西側にある。道幅は狭いが自動車は双方向に通ることができるようだ。

小田急線が南へカーブして、鶴見川を渡った先にある鶴川3号踏切。ここも道幅は車一台分しかないが双方向に通れる。
写真手前には東京都町田市と神奈川県川崎市の飛地である岡上(おかがみ)との県境があり、写真奥(東)は川崎市だ。
写真手前には東京都町田市と神奈川県川崎市の飛地である岡上(おかがみ)との県境があり、写真奥(東)は川崎市だ。

鶴川3号踏切から南に向かう小田急線を見たところ。奥に見える台地に向かって線路沿いに谷筋が伸びており、小田急線は高度を稼ぎながらトンネルに向かう。
写真左奥にはここからは見えていないが和光大学のキャンパスがある。
写真左奥にはここからは見えていないが和光大学のキャンパスがある。

谷頭付近まで来たところ。写真左奥に向かって谷が食い込んでいくが、そこに台地の上から線路に下りてくる道がある。

坂道の方に回って鶴川4号踏切を見たところ。
こんなところに踏切が、と思うのだが国土地理院Webサイトで昭和22年の空中写真(米軍撮影)を見るとやや鶴川寄り(写真手前のあたり)に跨線橋があったのが見える。
同サイトの昭和31年の空中写真(米軍撮影)では踏切になっていて、その間に跨線橋が廃止されたようだ。
いずれにせよ、古くからここには道があって線路の東西を往来する人がいたらしい。
こんなところに踏切が、と思うのだが国土地理院Webサイトで昭和22年の空中写真(米軍撮影)を見るとやや鶴川寄り(写真手前のあたり)に跨線橋があったのが見える。
同サイトの昭和31年の空中写真(米軍撮影)では踏切になっていて、その間に跨線橋が廃止されたようだ。
いずれにせよ、古くからここには道があって線路の東西を往来する人がいたらしい。

鶴川4号踏切から見た境塚トンネル。なぜか「きょう」の字が玉川学園では「経」、小田急では「境」なのだが町田市の資料では「京」になっている。
町田市によれば古くは奈良村、岡上村、本町田村(それぞれ現在の横浜市青葉区奈良、川崎市麻生区岡上、東京都町田市)の3村境があってそこにあったのが境塚(さかいづか)だという。
町田市によれば古くは奈良村、岡上村、本町田村(それぞれ現在の横浜市青葉区奈良、川崎市麻生区岡上、東京都町田市)の3村境があってそこにあったのが境塚(さかいづか)だという。

OpenStreetMapで鶴川4号踏切〜玉川学園前駅を見る。
経塚山に広がる玉川学園のキャンパス北寄りに旧3村境があり、現在も3市境となっている。
経塚山に広がる玉川学園のキャンパス北寄りに旧3村境があり、現在も3市境となっている。

玉川学園前駅北側にある鶴川5号踏切。踏切西側は玉川学園の通学路と正門があって、たくさんの学生が往来している。

踏切東側の道路を少し北側に戻って行ったところ。写真右奥に見える大グラウンドのフェンス手前に玉川学園の南門があるが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)を見るとグラウンド南端付近に踏切が描かれている(国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真=米軍撮影でも踏切が確認できる)。

玉川学園前駅は東西を高台に挟まれた谷間にあり、西側の高台から橋上駅舎に向かって歩道橋が架けられている。