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江古田1号〜5号踏切

OpenStreetMapで江古田~桜台駅間を見る。
昭和34年(1959年)地理調査所発行1:10000「練馬」。
「地図情報ねりまっぷ」の昭和22年の空中写真に写っている踏切の数は、昭和38年以降の写真よりも多い。
旧江古田3号踏切は、環状7号線の立体交差となっている。
「地図情報ねりまっぷ」の昭和22年の空中写真に写っている踏切の数は、昭和38年以降の写真よりも多い。
旧江古田3号踏切は、環状7号線の立体交差となっている。

現役の江古田1号踏切。駅の西側を斜めに渡っている。
2号踏切までは2011/7/16撮影。
ところでこの踏切、北側の警報機が全方向踏切警報灯というものになっている。写真ではわかりにくいが、右側の掲示板の上にかろうじて見えているのがそれ。
2号踏切までは2011/7/16撮影。
ところでこの踏切、北側の警報機が全方向踏切警報灯というものになっている。写真ではわかりにくいが、右側の掲示板の上にかろうじて見えているのがそれ。


いや、これはちょっと読めないでしょう。

1号踏切から少し西側へ進んだ位置にあるこの路地。昭和22年の地図では踏切に見えなくもない。

南側のちょうど同じ位置には、武蔵野稲荷神社の参道がある。

参道のつきあたり(神社は写真の左にある)。道はなくなって立ち入れない資材置き場のようになっている。
ここが踏切であった可能性は低そうだ。鉄道が敷かれる前には道がつながっていたのかもしれない。
ここが踏切であった可能性は低そうだ。鉄道が敷かれる前には道がつながっていたのかもしれない。

高架になる直前にある現役の江古田2号踏切。南向き一方通行になっている。

2号踏切の西側、南北の道が線路につきあたっている場所は、昭和22年には踏切だったと思われる場所。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)では踏切として描かれている。
ここから4号踏切跡までは2011/7/2撮影。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)では踏切として描かれている。
ここから4号踏切跡までは2011/7/2撮影。

江古田3号踏切跡は環状7号線(左上の陸橋)の下に埋もれてしまっている。この道がもともとあったものと同じかどうかも分からない。
全国Q地図を見た限りでは、踏切への道路は写真の道よりもやや池袋(左)寄りに向かっていたようだ。
全国Q地図を見た限りでは、踏切への道路は写真の道よりもやや池袋(左)寄りに向かっていたようだ。

千川通りにある清戸道の看板のそばに江古田4号踏切跡がある。

江古田4号踏切跡は桜台から環7をくぐるために高架が下りてくる場所にあり、少し掘り下げて道路の高さを稼いでいる。

昭和38年の地図にはないが、現在は高架下に道が出来ている場所。
このあとの写真は2011/7/16撮影。
このあとの写真は2011/7/16撮影。

西友桜台店のあるここは、桜台駅のホーム延長で分断されるまで江古田5号踏切だったと思われる場所。

おまけの桜台駅前。狭い…