Natrium.jp
江古田1号〜5号踏切
![地図](osm_ekoda.jpg)
OpenStreetMapで江古田~桜台駅間を見る。
![全国Q地図](qtile_1961.jpg)
全国Q地図で東京都3千分の1地図(1961〜1962)を見る。
環状7号線の立体交差になっている場所に旧江古田3号踏切があるが、その東側にももう一つ踏切があるように見える。
環状7号線の立体交差になっている場所に旧江古田3号踏切があるが、その東側にももう一つ踏切があるように見える。
![昭和22年](ekoda_s22.jpg)
昭和34年(1959年)地理調査所発行1:10000「練馬」。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)に写っている踏切の数は、昭和38年以降の写真よりも多い。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)に写っている踏切の数は、昭和38年以降の写真よりも多い。
![昭和38年](ekoda_s38.jpg)
同じく昭和38年空中写真(国土地理院撮影)。環状7号線が完成しているのが最も大きな違い。
わかりにくいが番号のない踏切は廃止されているように見える。
わかりにくいが番号のない踏切は廃止されているように見える。
![江1](ekoda_01.jpg)
現役の江古田1号踏切。駅の西側を斜めに渡っている。
2号踏切までは2011/7/16撮影。
ところでこの踏切、北側の警報機が全方向踏切警報灯というものになっている。写真ではわかりにくいが、右側の掲示板の上にかろうじて見えているのがそれ。
2号踏切までは2011/7/16撮影。
ところでこの踏切、北側の警報機が全方向踏切警報灯というものになっている。写真ではわかりにくいが、右側の掲示板の上にかろうじて見えているのがそれ。
![LED II形](ekoda_02.jpg)
![読めない](ekoda_03.jpg)
いや、これはちょっと読めないでしょう。
![1.5号?](ekoda_04.jpg)
1号踏切から少し西側へ進んだ位置にあるこの路地。昭和22年の地図では踏切に見えなくもない。
南側のちょうど同じ位置には、武蔵野稲荷神社の参道がある。
参道のつきあたりは立ち入れない資材置き場のようになっている。
ここが踏切であった可能性は低そうだ。鉄道が敷かれる前には道がつながっていたのかもしれない。
南側のちょうど同じ位置には、武蔵野稲荷神社の参道がある。
参道のつきあたりは立ち入れない資材置き場のようになっている。
ここが踏切であった可能性は低そうだ。鉄道が敷かれる前には道がつながっていたのかもしれない。
![江2](ekoda_07.jpg)
高架になる直前にある現役の江古田2号踏切。南向き一方通行になっている。
![2.5号](ekoda_00.jpg)
2号踏切の西側、南北の道が線路につきあたっている場所は、昭和22年には踏切だったと思われる場所。
ここから4号踏切跡までは2011/7/2撮影。
ここから4号踏切跡までは2011/7/2撮影。
![1969年](qtile_1969.jpg)
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)では踏切として描かれている。
![江3](ekoda_08.jpg)
江古田3号踏切跡は環状7号線(左上の陸橋)の下に埋もれてしまっている。この道がもともとあったものと同じかどうかも分からない。
全国Q地図を見た限りでは、踏切への道路は写真の道よりもやや池袋(左)寄りに向かっていたようだ。
全国Q地図を見た限りでは、踏切への道路は写真の道よりもやや池袋(左)寄りに向かっていたようだ。
![清戸道](ekoda_09.jpg)
千川通りにある清戸道の看板のそばに江古田4号踏切跡がある。
![江4](ekoda_10.jpg)
江古田4号踏切跡は桜台から環7をくぐるために高架が下りてくる場所にあり、少し掘り下げて道路の高さを稼いでいる。
![江4.5?](ekoda_11.jpg)
西へ進んで、全国Q地図にはないが昭和22年の空中写真では踏切のように見える場所。現在は高架下に道が出来ている。
このあとの写真は2011/7/16撮影。
このあとの写真は2011/7/16撮影。
![江5](ekoda_12.jpg)
西友桜台店のあるここは、桜台駅のホーム延長で分断されるまで江古田5号踏切だったと思われる場所。
![狭い](ekoda_13.jpg)
おまけの桜台駅前。狭い…