Natrium.jp
西武狭山線・西所沢6号〜11号踏切

OpenStreetMapで西武狭山線・下山口駅〜西武球場前駅間を見る。
昭和4年(1929年)に村山貯水池(多摩湖)観光を目的に敷設(山口貯水池=狭山湖は昭和9年完成)された武蔵野鉄道山口線の終点は、当初村山公園駅という名称で開設したのち村山貯水池際駅、戦時中の村山駅、途中休止ののち戦後の狭山湖駅を経て、昭和54年(1979年)に西武ライオンズ球場開設に伴って西武球場前駅に改称されている。
途中駅として開業時には西所沢寄りの下山口駅と終点寄りの上山口駅があったが、いずれも昭和19年(1944年)の路線休止は休止扱いのまま昭和29年(1954年)にいったん廃止となり、下山口駅だけが昭和51年(1976年)に再開業している。このため、踏切番号は現在も西所沢○号となっている。
昭和4年(1929年)に村山貯水池(多摩湖)観光を目的に敷設(山口貯水池=狭山湖は昭和9年完成)された武蔵野鉄道山口線の終点は、当初村山公園駅という名称で開設したのち村山貯水池際駅、戦時中の村山駅、途中休止ののち戦後の狭山湖駅を経て、昭和54年(1979年)に西武ライオンズ球場開設に伴って西武球場前駅に改称されている。
途中駅として開業時には西所沢寄りの下山口駅と終点寄りの上山口駅があったが、いずれも昭和19年(1944年)の路線休止は休止扱いのまま昭和29年(1954年)にいったん廃止となり、下山口駅だけが昭和51年(1976年)に再開業している。このため、踏切番号は現在も西所沢○号となっている。

下山口駅西側の西所沢6号踏切を南側から見たところ。下山口駅は北側にしか改札口がない1面2線の島式ホームを持った駅で、南側からはいったんこの踏切を渡らないと改札には行けない。
このページの写真は特に記載がなければ2025/11/3撮影。
このページの写真は特に記載がなければ2025/11/3撮影。

こじんまりとした下山口駅の駅舎。
埼玉県立図書館所蔵の所沢市全図(1957/5)には下山口駅は描かれておらず、ホームのあたりには3箇所ほど線路を渡る細道があるのだが、現在は水路敷が残っているだけで踏切跡はよくわからない。
埼玉県立図書館所蔵の所沢市全図(1957/5)には下山口駅は描かれておらず、ホームのあたりには3箇所ほど線路を渡る細道があるのだが、現在は水路敷が残っているだけで踏切跡はよくわからない。

西所沢6号踏切のすぐ西側にも南北に渡る踏切の跡があるが、踏切番号はついていない。

線路の北側を並走する埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線の山口交差点から南に進んだところにある西所沢7号踏切。写真奥に見える建物は山口民族資料館で、この通りは山口城址通りという名前が付いている。

踏切北側の県道沿いにある衣料品スーパー横にあるなんということのなさそうな空き地に山口城址の看板が立っている。
平安時代末期の武蔵七党村山党(桓武平氏の子孫がこのあたりの村山郷に土着した武士団のひとつ)に属する山口氏の居城があったというが、南北朝時代に焼け落ち、山口氏はその後上杉、後北条、徳川に仕えたという。
この写真は2025/11/19撮影。
平安時代末期の武蔵七党村山党(桓武平氏の子孫がこのあたりの村山郷に土着した武士団のひとつ)に属する山口氏の居城があったというが、南北朝時代に焼け落ち、山口氏はその後上杉、後北条、徳川に仕えたという。
この写真は2025/11/19撮影。

西所沢8号踏切は幅が狭いが自動車も通行できるようだ。

踏切北側の県道沿いにある中氷川(なかひかわ)神社。さいたま市の大宮氷川神社と奥多摩町の奥氷川神社のちょうど中間にあるから中氷川とする説がある。入間郡、多摩郡92村の総鎮守とされ明治時代には県社に指定されていた。
崇神天皇のころに創建されたという伝承があり、平安時代の延喜式神名帳にも記載されているという歴史のある神社だ。
崇神天皇のころに創建されたという伝承があり、平安時代の延喜式神名帳にも記載されているという歴史のある神社だ。

国土地理院Webサイトで昭和24年の空中写真(米軍撮影)を見ると、西所沢8号踏切西側の路地(写真正面のフェンスが斜めになっているところから線路北側で道路が斜めになっている方向に向かって)に踏切があったように見えるが、昭和30年代にはすでになくなっているので昭和26年(1951年)に狭山線として再開された際にはもう踏切ではなかったのかもしれない。
この写真は2025/11/19撮影。
この写真は2025/11/19撮影。

西所沢9号踏切は柳瀬川と西武狭山線が交差する場所の東側にある車両通行止めの小さな踏切。

そこと柳瀬川の間にもうひとつ線路を斜めに渡っていた古い踏切の跡があるが、こちらも昭和30年代にはすでになくなっている。

柳瀬川西側にある西所沢10号踏切。

そこから西へ進んで県道から東側の上山口駅跡を見たところ。駅の跡はほとんどがそのまま空き地になっている。

上山口駅跡の西側には西所沢11号踏切がある。

踏切の西側は西武球場前駅に向かって高架化されており、番号のついた踏切はここまでとなる。

しかし、国土地理院Webサイトで昭和36年の空中写真(国土地理院撮影)を見ると、現在は高架下を通っているこの場所に踏切があったように見える。

西武球場ことベルーナドーム。この日は試合もなく閑散としていた。

改札口から西武球場前駅のホームを眺める。西武ライオンズの試合開催時には3面6線のホームが乗客でいっぱいになる。写真右奥の崖上には西武山口線(レオライナー)のホームがある。

西武球場前駅の先は多摩湖と狭山湖の間にある尾根筋になっていて、急峻な坂道を登っていくと真言宗豊山派の金乗院(こんじょういん)放光寺の大きな山門と千躰観音堂(五重塔)がある。本堂は崖下にあり、山口観音と呼ばれている千手観音像が安置されている。
観音堂は弘法大師による開基という伝承がある古刹だが、五重塔が完成したのは平成11年(1999年)だそうだ。
観音堂は弘法大師による開基という伝承がある古刹だが、五重塔が完成したのは平成11年(1999年)だそうだ。