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練馬1号〜9号踏切
地図
OpenStreetMapで練馬~中村橋駅間と、豊島線を見る。
OSM
練馬駅から中村橋陸橋まで、分岐側の豊島線についても探索してみよう。
国土地理院Webサイトで昭和38年(1963年)の空中写真(国土地理院撮影)を見ると、かなりたくさんの踏切があったように見える。中には、高架化時には踏切ではなかったところもあるようだ。
3号と4号の間にも斜めに渡る道路の踏切があるように見えなくもないだが、現在この地点は高架に飲み込まれてしまっており、南北にも道路はない。
全国Q地図
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962)では、「?」のところは踏切ではないように描かれている(1963〜1964年版では中村橋陸橋が完成しているが練馬6号踏切はまだ残っており、1965〜1966年版で廃止されている)。
練1
練馬1号踏切跡は、練馬駅西口の西友入口がある場所。
このページの写真は特に記載がなければ2011/6/27撮影。
練2
練馬2号踏切は、高架化が始まった時点ではすでに廃止されていた。西友駐車場の西側、細い路地が高架下をくぐっている場所と思われる。
練3
練馬3号踏切跡は、豊島園通りが西武池袋線と豊島線を渡っていた場所。ここはかつて渋滞の巣だったところだ。
練4
練馬4号踏切も高架化前に廃止されていた。豊島線が下がっていく部分の高架下にある半地下道のような場所がそれと思われる。
練5
練馬5号踏切だった場所は、豊島線が高架から下りてくるため地下道化されている。
南側
練馬5号踏切跡を南側から見る。写真中央あたりに、右へ下りる地下道がある。
練6ではない
練馬6号踏切は、中村橋陸橋(西武池袋線が高架化される前の目白通り)が出来た時に廃止されたと思われる。
写真は、中村北一丁目交差点の北側で高架をくぐる道だが、どうやらこの場所ではないらしい。
踏切はもう少し西側、練馬住宅の東端あたりにあったようだ。Googleストリートビューでもすでに跡形もないが、探してみるとする。
練6
2011/7/2に練馬6号踏切らしき場所を再訪。写真左下に不自然な位置で道路境界標が写っているが、このあたりが踏切だった可能性が高い。しかし、もはや跡形もない。
練6?
はて、練6?
実はこの標識は豊島線のもの。豊島線には現在、練馬6号踏切と、練馬7号踏切が現存しており、池袋線と中途半端に番号が重複している。
昭和22年
国土地理院Webサイトから昭和22年の空中写真(米軍撮影)。豊島線は池袋線と練馬5号踏切を共有しているため、そこから次が練馬6号踏切となっているらしいが、なにやら5号と6号の間に踏切らしきものが…
5.5?
現場は、たしかに豊島線を挟んで両側に道がまっすぐつながっているが、踏切らしい構造物は残っておらず、昭和22年の空中写真では道路が確認できない。踏切を予定しながら実際には開通しなかったということか、番号がつく前に廃止されたのか。
練6(豊島線)
豊島線側の練馬6号踏切。
練7(豊島線)
豊島線側の練馬7号踏切。遮断機があるのが不思議なくらいの、こじんまりとした踏切だ。
豊島園駅
豊島線ではここが最後の踏切で、踏切に立つと豊島園駅が見える。
豊島線
再び全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)。
豊島線では6号と7号の前後に踏切があるようには描かれていない。
昭和38年
中村橋陸橋から中村橋駅まで、国土地理院Webサイトから昭和38年の空中写真(国土地理院撮影)。練馬7号踏切の位置は、昭和59年(1984年)の空中写真(国土地理院撮影)と異なった位置にある。
1965
全国Q地図の東京都3千分の1地図では1965〜1966年版で練馬7号踏切が切り替わっている。
旧練7
旧練馬7号踏切があった場所には宅急便の事務所が立っており、面影はない。
この写真は2011/7/2撮影。
練7
上の写真の東隣、昭和54年には練馬7号踏切だった場所。
中村橋陸橋の逆立体化工事まで残っていた最後の踏切がここ。
練8ではない
練馬7号踏切跡から中村橋方向へ。最初に高架下をくぐっているHonda Cars北の道は、踏切ではなかったようだが、1965年の地図では線路を跨いでいる道路があるようにも見える場所。
練8
奥に中華料理店が見えるここが練馬8号踏切跡と思われる。
練9
練馬9号踏切跡は、中村橋駅の改札横にある道。
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