Natrium.jp
大泉学園1号〜10号踏切
![OSM](osm_oizumi.jpg)
OpenStreetMapで大泉学園駅〜保谷駅間を見る。
現在現役の踏切は大泉学園3号、4号、6号、7号、9号の5つとなっている。
現在現役の踏切は大泉学園3号、4号、6号、7号、9号の5つとなっている。
![全国Q地図その1](qtile_1961-1.jpg)
まずは大泉学園駅から白子川にかかる鉄橋までの前半部分。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)には、1号から5号まで5つの踏切が書かれている。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)には、1号から5号まで5つの踏切が書かれている。
![北野神社](oizumi_01.jpg)
スタート地点は大泉学園駅北側にある北野神社から。江戸自体は法華宗の三十番神(毎日交代する守護神)を祀る三十番神社だったが、明治の神仏分離政策により配祠が禁止されたため、菅原道真を祀る北野神社になったのだそうだ。
このページの写真は特に記載のない限り2011/7/9撮影。
このページの写真は特に記載のない限り2011/7/9撮影。
![参道](oizumi_02.jpg)
その北野神社の正面から延びる参道にあたる部分が大泉学園1号踏切跡への道。
![大1跡](oizumi_03.jpg)
道路を進んだ先、線路に突き当たる部分が大泉学園1号踏切跡。向かい側は再開発でゆめりあ2(ゆめりあふぇんて)が立っており、まっすぐ伸びていた道路は跡形もない。
立体交差化以前は、写真左側から来た補助135号線が踏切を渡って行くというなかなか辛い場所だったようだ。補助135号線はアンダーパスとなり、渋滞もこの場所では過去のものとなったが、アンダーパスの先がクランクになっていて抜本的な渋滞解消には時間がかかりそうだ。
立体交差化以前は、写真左側から来た補助135号線が踏切を渡って行くというなかなか辛い場所だったようだ。補助135号線はアンダーパスとなり、渋滞もこの場所では過去のものとなったが、アンダーパスの先がクランクになっていて抜本的な渋滞解消には時間がかかりそうだ。
![ねりまっぷ](oizumi_h13.jpg)
「地図情報ねりまっぷ」で見る平成13年(2001年)の空中写真。
駅前再開発が行われていた頃、上の写真よりも駅寄りに大泉学園1号踏切があった。工事のため駅ホーム西側を20m削って仮踏切のスペースを捻出するという苦肉の策だったようだ。
2001/9/23に立体交差が供用開始となったことで、この踏切も廃止された。
駅前再開発が行われていた頃、上の写真よりも駅寄りに大泉学園1号踏切があった。工事のため駅ホーム西側を20m削って仮踏切のスペースを捻出するという苦肉の策だったようだ。
2001/9/23に立体交差が供用開始となったことで、この踏切も廃止された。
![仮1号](oizumi_04.jpg)
2011/7/16の撮影。駅西側の屋根の色が異なる部分が、仮1号踏切だった部分にあたる。
![大2跡(南)](oizumi_05.jpg)
住宅街の片隅にある謎の盲腸路地。これが大泉学園2号踏切の跡。
![大2跡(北)](oizumi_06.jpg)
突き当りから線路の北側を見る。架線柱のあったあたりが踏切の北側だったのではないかと思われる。
![大3](oizumi_07.jpg)
大泉学園3号踏切は現役。南向き一方通行の細い道。
![大4](oizumi_08.jpg)
大泉学園4号踏切も現役だが、歩行者専用。奥に見える木々は相当年代物に見える。
![大5跡へ](oizumi_09.jpg)
大泉学園5号踏切跡は、保谷街道脇の材木屋の角を入っていく路地の先にある。
![大5跡(北)](oizumi_10.jpg)
路地の突き当りが大泉学園5号踏切跡。向かい側(車のあるあたり)とは、だいぶ段差がある。
![大5跡(南)](oizumi_11.jpg)
南側に回るには、相当な大回りを強いられる。
![全国Q地図その2](qtile_1961-2.jpg)
白子川から保谷駅までの後半部分。
保谷街道と線路が接する部分に番号のない踏切跡があるようだが、確認しそこなったので後日再調査してみたい。
保谷街道と線路が接する部分に番号のない踏切跡があるようだが、確認しそこなったので後日再調査してみたい。
![本14](oizumi_12.jpg)
2011/7/16に再訪。保谷通りから副14架線柱のたもとにある中途半端な空間が踏切だった可能性のある場所。
![大5.5?](oizumi_13.jpg)
南側の同じ場所。マンションと民家の間にある細いスペース。ここが踏切だったのだろうか。
![大6](oizumi_14.jpg)
大泉学園6号踏切は現役。狭いのに交通量が多く、過去にはトラックと電車の接触事故もあった場所。
![大6.5?](22-252.jpg)
以前、メールでくぐるなあぶない でんしゃにちゅういさんにご指摘頂いていた大泉学園6号踏切と7号踏切の間にある西武鉄道保谷変電所脇の行き止まり道。ねりまっぷ区道現況版というサイトが試験公開されていたのでチェックしてみたところ、行き止まりの先が線路の反対側へ抜けるように区道22-252号線として描かれていた。
空中写真で見ると変電所から東へ、三菱電機システムサービスの裏側まで不必要に広い空間があるのが見て取れる。線路の南側は東中前の森緑地になっていて道路はないのだが、その森の中を区道が通り抜けている設定になっている。
昭和22年の空中写真でも踏切があるようには見えないのだが、かつてはここに踏切があった可能性はありそうだ。いずれ改めて現地で確認してみたい。
一方、大泉学園5号踏切跡と6号踏切の間の踏切跡らしき場所は、区道にはなっていなかった。ちなみに5号踏切跡と2号踏切跡は区道22-199号線と区道22-160号線になっている。
空中写真で見ると変電所から東へ、三菱電機システムサービスの裏側まで不必要に広い空間があるのが見て取れる。線路の南側は東中前の森緑地になっていて道路はないのだが、その森の中を区道が通り抜けている設定になっている。
昭和22年の空中写真でも踏切があるようには見えないのだが、かつてはここに踏切があった可能性はありそうだ。いずれ改めて現地で確認してみたい。
一方、大泉学園5号踏切跡と6号踏切の間の踏切跡らしき場所は、区道にはなっていなかった。ちなみに5号踏切跡と2号踏切跡は区道22-199号線と区道22-160号線になっている。
![東中前の森緑地](oizumi_15.jpg)
2015/10/3に区道22-252号線を探索。
大泉学園6号踏切を南にわたってすぐの路地を西へ向かう。細い路地は東中前の森緑地に突っ込むように、写真右側で行き止まりとなる。
大泉学園6号踏切を南にわたってすぐの路地を西へ向かう。細い路地は東中前の森緑地に突っ込むように、写真右側で行き止まりとなる。
![行き止まり](oizumi_16.jpg)
西武池袋線にたどり着く前に、緑地に吸収されるように区道は終わっている。のだが。
![境界票](oizumi_17.jpg)
その先の轍のあとを進んでいくと、なんと木立の両脇に練馬区の境界票があったのだ。どうやら、こんな見た目でもここは区道22-252号線として指定されたままの状態ということらしい。
![踏切跡?](oizumi_18.jpg)
そして轍はまるで線路を渡ろうとしているかのようにフェンスに向かって進んで行き、緑地の西端で線路に向かって消えている。どうやら、ここが番号が付与される前には踏切だったかもしれない場所ということになるだろう。
区道は、そのまま線路を越えて北へ向かっている。
区道は、そのまま線路を越えて北へ向かっている。
![北側](oizumi_19.jpg)
北側に回ってみた。南大泉バス停と西武鉄道保谷変電所の西側、保谷街道から斜めに南へ入っていく行き止まりの道が区道22-252号線の続きだ。道路に沿って民家が何軒か建っているため、すっかり生活道路となっている。
![大7](oizumi_20.jpg)
保谷街道が西武池袋線を渡る大泉学園7号踏切は現役。
ここからの写真は2011/7/9撮影。
ここからの写真は2011/7/9撮影。
![蒸気機関車](oizumi_21.jpg)
7号踏切の標識。蒸気機関車は来ないと思うが…
![大8跡](oizumi_22.jpg)
7号踏切の近く、保谷病院のあるあたりが大泉学園8号踏切だった場所。
![大9](oizumi_23.jpg)
大泉学園9号踏切も現役。交通量が多く、標識も見づらい場所。
![大10跡](oizumi_24.jpg)
現在では保谷駅の構内になってしまっているが、練馬区(左)と西東京市(右)の境、斜めの道路が駅に分断されている場所がもともとは大泉学園10号踏切だった(はず)。
止まれの標識が見えている道は実は東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線で、旧早稲田通りでもあるのだが、この場所で分断されてしまっている。
止まれの標識が見えている道は実は東京都道・埼玉県道25号飯田橋石神井新座線で、旧早稲田通りでもあるのだが、この場所で分断されてしまっている。
![都道](oizumi_25.jpg)
南側の都道の成れの果て。どう見てもただの路地。