昭和34年(1959年)地理調査所発行1:10000「下保谷」。
3つの踏切が描かれており、高架化工事前にすでに欠番だった6号踏切の位置が分かるが、5号踏切の位置も現在とは異なっている。
というか、そもそも現在の5号踏切にあたる道路(都道444号下石神井大泉線)がない。
石神井公園4号踏切は車両通行ができない狭い踏切だった。この写真は2008/4/5撮影。
ロールアップの写真は2020/6/7のものだが、踏切南側のアプローチは道路幅が狭いままで、現在でも車両が通行することはできない。
北側を都道444号線から左に分かれる旧道を進む。
一見気が付かないが、道路左に赤く塗られた境界標がある。
ここからのページの写真は記載がない限りいずれも2011/5/14撮影。
実はこの道路、西武鉄道の境界標よりも線路寄りにある。どうやら、西武鉄道所有地に通っていたらしい。
それにしても、この看板はいったい何時からここにあるのだろうか?
北側から旧・石神井公園5号踏切と思われる場所を見る。
正面の擁壁が切れているあたりが、かつては踏切だったのではないだろうか。
ロールアップで高架化工事後2017/2/25の姿。南側にあった側道が高架下になって廃止されてしまったため、北側に新設された側道に向かって旧踏切の位置に通路ができた。
現役だった方の石神井公園5号踏切はごく普通の踏切であった。この写真は2008/9/6撮影。
ロールアップの写真は2020/6/7のものだが、最終的に踏切跡北側の側道との交差点に信号機が設置された。
同じ都道444号線北側から今度は右に曲がって細道を進む。
写真正面の草むらが見えているあたりに、東京外郭環状道路の計画がある。
上の写真の草むらを右に進むと、マンションの横に不自然な形で残された区有地があった。
どうやら、このあたりが旧・石神井公園6号踏切。
南側からの眺め。踏切が廃止された跡にありがちな無意味に尖った道路の先端部分を見る。
この場所、写真右側は連続立体化工事用地が確保されており、高架化と外環工事で消える運命にある。
この写真のみ2011/4/16撮影(差し替えました)。
ロールアップで高架化工事後2017/3/25の姿。こちらも高架を潜る通路として復活している。