廃踏切を探して
地図を見ているうちに見つけた廃線跡。
現在は大半が「たての緑地」として遊歩道になっているが、左の地図のわずかに南側にあるひばりが丘団地から住友重機械工業田無技術研究所(東京大学田無演習林の北側)に渡る敷地には、戦時中まで軍用機のエンジン部品を製造する中島航空金属株式会社田無製造所(昭和13年の発足当時は
中島飛行機株式会社荻窪製作所田無鋳鍛工場)という会社があり、そこへ向かって東久留米駅から鋳造用の砂を運搬する専用線(引込線)が伸びていたという。
西武池袋線の探索時に途中までは見に行っていたが、改めて廃線跡を廃踏切を探しながら歩いてみた。
専用線の詳細については、いずれ図書館などで詳細を調べてみたいと思う。
「明治前期・昭和前期 東京都市地図 2 (東京北部)」(柏書房、1996)より「清瀬・田無 1951→1957) 1:10000」の一部。
路線の北側から南へ向かって進む。
旧ひばりヶ丘7号踏切(写真前前方)の手前にあったはずの踏切跡はまったくわからない。
この写真は2011/12/10撮影。
現在のひばりヶ丘7号踏切(写真前方)からいい具合に斜めに伸びている道があるが、どうやら専用線とは道筋がことなるらしい。
専用線は、写真の右手前から左奥に向かって斜めに進んでいたと思われる。
12/10撮影。
専用線は現在西武鉄道久留米変電所の敷地になっている部分を抜け、そこから先は東京電力の送電線(田無線)と共に進んでいく。
変電所敷地の南側、ひばりヶ丘6号踏切跡へ向かう場所には、専用線の踏切があっただろう。そこから南向きに専用線跡を見る。
12/23撮影。
ひばりヶ丘の廃踏切探訪でも紹介した築堤。
落合川は写真手前に写っている立野一の橋の右側を橋梁で越えていたと思われる。
12/10撮影。
築堤の前から落合川を挟んだ対岸を見る。落合川はここで手前の整備されている本流と、正面の崖下を流れる支流に分かれている。
鉄塔の下に橋脚が残っているのだが、蔦に埋もれてよくわからない。
12/10撮影。
対岸の崖を上ると、専用線跡の送電線は住宅の軒先を間借りするように進んでいる。
この日は送電線の塗装工事が行われていたため、養生シートが庭木を覆っていた。
12/10撮影。
ひばりヶ丘5号踏切西側にある踏切跡が「たての緑地」の出発地点。
12/23撮影。
さて、問題はこの看板。地図の左端にあるそれっぽいラインが専用線跡だが、この地図では「たての緑道」とある。
12/10撮影。
一方、この看板は「たての緑地」になっている。
このページでは、こちらの看板の方が新しいと思われるので、「たての緑地」とした。
12/10撮影。
上の地図や昭和22年の空中写真を見ると、写真前方あたりに踏切跡があるはずなのだが、まったく痕跡が残っていない。道路自体が廃止されてしまったようだ。
マンションの敷地の向こうには、廃道がつながっていたはずのひばりヶ丘4号踏切跡がある。
これ以降の写真はいずれも2011/12/23撮影。
自転車の通行が多いのか一時停止厳守の標識があるが、その先で道路と交差する場所が踏切の跡だ。写真中央に見えるのは田無線No.21の鉄塔。
普段と違って踏切に向かう構図なのが廃線らしいところ。
上の踏切跡のすぐ南側に、舗装を斜めに横断する道があり、ここも踏切跡だったと思われる。
わざわざ舗装が斜めになっているのは、土地の管理関係が異なっているのかもしれない。
田無線No.22鉄塔の下にあるここも踏切跡。
ここで、専用線跡は両側をフェンスに挟まれるが、この先が再び築堤になっているためだ。
しばらくは築堤が続く。
築堤の東側には立野川が見える。昭和22年の地図でも、橋ではなく築堤の下に立野川を通していたようだ。
築堤の西側。写真右の地下に川が通っているはず。
築堤を抜けて住宅との境目に古い境界標を発見。「工」の字は石神井公園5号踏切脇でも見つけた西武鉄道(というか武蔵野鉄道)設置のものだろう。
その上には、東久留米市の境界標が同居しているが、現在のたての緑地は東久留米市が管理しているようだ。
後半部分の地図。
たての緑地は踏切跡10の手前で終わっており、そこからひばりが丘団地までの専用線跡は消えてしまっている。
なんだか道がゆがんでいるような…
ここも踏切跡と思われるが、前後が掘割になっており道路が両側から専用線跡めがけて急激に下りてくる不思議な、というか無理やりな構造になっている。
橋を架けるにしても中途半端な高さで、もとからこういう構造なのだろうか?
近寄ってみたところ。
この道路、実は双方向に通行可能。横方向に自動車でも通ってみたのだが、野球盤の消える魔球(古っ)よろしくいきなり道路が落ち込んでいるので結構怖い。
田無線No.24鉄塔下の踏切跡。ここでは平地に戻っているので、ごく普通の交差点になっている。
しばらく行くと唐突に現れるたての緑地の終点。田無線No.27鉄塔に突き当たる形で専用線跡も終わっている。
突き当りから左右に迂回する道があり、表の大きな通りに出たところ。
ガソリンスタンドの先、左側に西武ハイヤーの営業所があるあたりが踏切跡だったと思われる。
ここから先は、ハイヤーの車庫になっていて、専用線あとをたどることはできない。
しかし、ハイヤー車庫と隣のマンションの間には遊歩道があり、ひばり保育園の角まで進むことが出来る。ここが実質的には専用線の跡がたどれる末端部ということになろう。
(実際の専用線あとはもう少し南側=写真右側だった可能性もある)
この先、専用線は保育園の敷地になってしまい、跡は残っていない。
保育園の南側には子どもセンター、ともだち公園となっているが、このあたりが専用線跡だったと思われる。
ともだち公園の入口から南側を見る。
写真右側を奥へ進む南沢通りの左にある整地中の微妙な空き地も専用線跡らしい。この先、左へカーブしてひばりが丘団地へ吸い込まれていくが、その痕跡は残されていない。