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東上22号~29号踏切
地図
OpenStreetMapで中板橋駅・上板橋駅間を見る。
中板橋駅西側は石神井川の谷があって道路とは立体交差なので、踏切はときわ台駅東側まで設置されていない。
中板橋
ところが、中板橋駅のホームが延伸される前には駅西側に踏切(東京都公文書館所蔵の大正3年(1914年)起案「道路及河溝工事施工」の板橋町地内工事施設個所表で板橋町45号と推定、東上13号踏切東側起点哩程62鎖=約1,247m)があったことが昭和22年(1947年)空中写真(米軍撮影)で確認できる。
そのすぐ西側には廃道があるのだが、ここに踏切があったのかどうかは残念ながら前後の区間と異なり上板橋村内の工事施設個所表がないため確認することができない。板橋区公文書館所蔵の昭和5年(1920年)発行東京府北豊島郡上板橋村全図(番地界入)では踏切として記載されているようにもみえる。
また、現在環状7号線が走っている場所には旧道があるが、空中写真から架道橋であることがわかるので踏切ではない。
ここから先も工事施設個所表のない部分は上板橋村全図を参考に見ていくことにする。
板橋町45号
中板橋駅南側に回って板橋町45号踏切跡を見る。写真奥の防災倉庫の向こうが線路で北側にもまっすぐ道路が伸びているが、駅ホームの延伸で踏切の面影はない。踏切は道路ではなくホームの方向へ線路と直行して渡っていたようだ。
この写真は2024/4/13撮影。
昭和22年
続いてときわ台駅から西側の昭和22年(1947年)空中写真(米軍撮影)を見る。
ときわ台駅(写真のころは武蔵常盤駅)東側の22号と、西側で線路を斜めに渡っている23号の間に、3か所踏切らしきものが見える。
上板橋村全図では東上22号の西側に旧道があって踏切になっているように描かれているが、東上23号側の3か所にはそもそも道路が描かれていない。
2024/4/22追記:新たに東京都公文書館所蔵の昭和4年(1929年)東武鉄道設計協定書「上板橋町地内」(以下では記載された番号を「上板橋町○号」とするが、この番号は踏切以外の暗渠、架道橋などにも付けられている)を入手したので、石神井川の西側はこれをもとに位置を確認していくこととする。この資料では起点を下板橋停車場中心(現在のゼロキロポスト)としているので哩程はそこからの距離となる。
(参考)ヤードポンド法での表記:哩(マイル)=約1.609km、鎖(チェーン)=約20.12m(1/80哩)、節(リンク)=約20.12cm(1/100鎖)。
東22
東上22号踏切(上板橋町10号と推定、下板橋停車場中心起点哩程1哩50鎖=約2,614m)。
2007年に踏切に侵入した人を救助しようとした警察官が殉職した場所として知られている。人命救助のため亡くなった警察官に哀悼の意を表します。
ここからの写真は特に記載がなければ2011/11/5撮影。
廃道
東上22号踏切から南へ進んでスーパーマーケットの駐輪場方向を振り返ったところ。写真奥に向かって廃道と踏切(上板橋町11号と推定、哩程1哩53鎖78節=約2,690m)があったはずだが、痕跡は何も残っていない。
この写真は2024/4/20撮影。
東22の2
ときわ台駅西端。このあたりにも踏切があったらしい。踏切の向こう側は民家になってしまっており、痕跡は全く残っていなかった。
天祖神社
その南側、空中写真で森になっている部分は天祖神社(てんそじんじゃ、別名神明社)の境内だった。写真は神社から北へ抜ける参道で、どうやらこの参道の先が踏切になっていたらしい。
表参道
こちらは東側の参道(南側にもある)。今もうっそうとした森の中にある境内では七五三の家族連れが参拝していた。
踏切ではない
さて、北側の参道からちょっと西側に進んだところ、線路に向かう路地がある。いかにも踏切跡っぽいのだが、空中写真や上板橋村全図などで確認してもここには踏切はない。
設計協定書では上板橋町12号踏切(哩程1哩63鎖=約2,876m)の記載があるが、左右の踏切跡のどちらに当たるのかは哩程の正確性が不明なため確定できない。
踏切跡らしい
さらにその西側、南から道路が突き当たるここが踏切跡だったはずの場所。
東23隣
東上23号手前で南から来る道路が線路に突き当たって西に曲がっているところ。ここも昭和22年空中写真で踏切のように見えるが、上板橋村全図では道路は斜めに東上23号にぶつかっており、この位置に踏切や道路は描かれておらず設計協定書にも記載はない。
この写真は2024/4/20撮影。
東23
昭和22年空中写真や上板橋村全図では斜めに線路を渡っている東上23号踏切(上板橋町13号と推定、哩程1哩67鎖67節=約2,970m)だが、現在は自動車通行禁止で線路に直交してまっすぐ渡っている。
この踏切だけ警標の塗り分けが前後と異なっている。
踏切跡?
昭和22年空中写真では23号と24号の中間にある突き当たりの道にも踏切があったように見えるが、上板橋全図と設計協定書には記載がない。
この写真は2024/4/20撮影。
東24
東上24号踏切(上板橋町14号と 推定、哩程1哩76鎖30節=約3,143m)も自動車通行禁止。
地図その2
東上25号踏切から東上29号踏切の空中写真。現役の26号と28号の間に上板橋村全図にも記載がある3つの踏切らしきものがある。
東25
国際興業観光バスの営業所ビルの東側に東上25号踏切(上板橋町16号と推定、哩程2哩2鎖55節=約3,270m)があったらしい。
東26
都道445号(前野中央通り)が線路を渡る東上26号踏切(上板橋町17号と推定、哩程2哩5鎖90節=約3,337m)。
東27
板橋平和公園西端から南下したところにある突き当り。昭和38年(1963年)の空中写真にもあるここが東上27号踏切跡(上板橋町20号と推定、哩程2哩11鎖5節=約3,441m)だったと思われる。
東27の2
平和公園の南側、ここにも踏切(上板橋町21号と推定、哩程2哩17鎖=約3,560m)があったかもしれない。
板橋平和公園は昭和61年(1986年)開設の比較的新しい公園。公園内にある地図によれば、敷地内には前野高射砲陣地があったという。
踏切への道があった?
東上28号踏切へ向かう道の南側、丁字路になっているあたりに、昭和22年の時点では線路に向かう道があったようだ。この先の踏切は設計協定書に上板橋町22号(哩程2哩17鎖70節=約3,575m)として記載がある。
東28
東上28号踏切(上板橋町23号と推定、哩程2哩21鎖=約3,641m)は、南側にある城北中学高校の通学路。上板橋村全図では踏切を渡る若木通りの位置がやや西寄りに描かれているので、開業当時は西側に踏切があったのかもしれない。
東28西
東上28号踏切西側の線路に突き当たる道路。設計協定書に上板橋町24号(哩程2哩25鎖00節=約3,727m)として記載がある。
この写真は2024/4/20撮影。
東29
上板橋駅東側にある東上29号踏切(上板橋町25号と推定、哩程2哩29鎖48節=約3,812m)は、南側突き当りにたばこ店があり、シケイン状態になっている。この位置関係は上板橋村全図ではやや西側に踏切があって南の道路とまっすぐつながっているように見える。
構内踏切
上板橋駅構内東側には、南北に線路を跨ぐ構内踏切がある。
廃構内踏切
北側はレンタカー店の駐車場で、金網に突き当たって終わっており、上り本線を渡る部分は柵で封鎖されている。
奥にある放置された遮断機が廃踏切であることを静かに物語っている。
朽構内踏切
13年後の2024/4/20の姿。使われなくなった構内踏切は朽ち果てつつある。
現役
駅の北側は廃構内踏切だが、南側は実は現役。構内踏切は南側にもう一本あり、写真左に写っているゴミ収集所へ行くために利用されているようだ。
駐車禁止
妙に味のある看板が…
(補足)上板橋駅南口は現在再開発が進められており、この看板も撤去されてしまった。
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