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東上22号~29号踏切

OpenStreetMapで中板橋駅・上板橋駅間を見る。
中板橋駅西側は石神井川の谷があって道路とは立体交差なので、踏切はときわ台駅東側まで設置されていない。
中板橋駅西側は石神井川の谷があって道路とは立体交差なので、踏切はときわ台駅東側まで設置されていない。

昭和22年(1947年)の空中写真(米軍撮影)を見る。
ときわ台駅(写真のころは武蔵常盤駅)東側の22号と、西側で線路を斜めに渡っている23号の間に、二か所踏切らしきものが見える。
ときわ台駅(写真のころは武蔵常盤駅)東側の22号と、西側で線路を斜めに渡っている23号の間に、二か所踏切らしきものが見える。

東上22号踏切。
2007年に踏切に侵入した人を救助しようとした警察官が殉職した場所として知られている。人命救助のため亡くなった警察官に哀悼の意を表します。
このページの写真はすべて2011/11/5撮影。
2007年に踏切に侵入した人を救助しようとした警察官が殉職した場所として知られている。人命救助のため亡くなった警察官に哀悼の意を表します。
このページの写真はすべて2011/11/5撮影。

ときわ台駅西端。このあたりに上の写真右側の踏切があったらしい。踏切の向こう側は民家になってしまっており、痕跡は全く残っていなかった。

その南側、空中写真で森になっている部分は天祖神社(てんそじんじゃ、別名神明社)の境内だった。写真は神社から北へ抜ける参道で、どうやらこの参道の先が踏切になっていたらしい。

こちらは東側の参道(南側にもある)。今もうっそうとした森の中にある境内では七五三の家族連れが参拝していた。

さて、北側の参道からちょっと西側に進んだところ、線路に向かう路地がある。
いかにも踏切跡っぽいのだが、地図で確認してもここには踏切はなかった。
いかにも踏切跡っぽいのだが、地図で確認してもここには踏切はなかった。

さらにその西側、南から道路が突き当たるここが踏切跡だったはずの場所。

現在の東上23号踏切は自動車通行禁止で線路をまっすぐ渡っている。
この踏切だけ警標の塗り分けが前後と異なっている。
この踏切だけ警標の塗り分けが前後と異なっている。

東上24号踏切も自動車通行禁止。

東上25号踏切から東上29号踏切の空中写真。現役の26号と28号の間に3つの踏切らしきものがある。

国際興業観光バスの営業所ビルの東側に東上25号踏切があったらしい。

都道445号線(前野中央通り)が線路を渡る東上26号踏切。

板橋平和公園西端から南下したところにある突き当り。昭和38年(1963年)の空中写真にもあるここが東上27号踏切跡だったと思われる。

平和公園の南側、ここにも踏切があったかもしれない。
板橋平和公園は昭和61年(1986年)開設の比較的新しい公園。公園内にある地図によれば、敷地内には前野高射砲陣地があったという。
板橋平和公園は昭和61年(1986年)開設の比較的新しい公園。公園内にある地図によれば、敷地内には前野高射砲陣地があったという。

東上28号踏切へ向かう道の南側、丁字路になっているあたりに、昭和22年の時点では線路に向かう道があったようだ。

東上28号踏切は、南側にある城北中学高校の通学路。

上板橋駅東側にある東上29号踏切は、南側突き当りにたばこ店があり、シケイン状態になっている。

上板橋駅構内東側には、南北に線路を跨ぐ構内踏切がある。

北側はレンタカー店の駐車場で、金網に突き当たって終わっており、上り本線を渡る部分は柵で封鎖されている。
奥にある放置された遮断機が廃踏切であることを静かに物語っている。
奥にある放置された遮断機が廃踏切であることを静かに物語っている。

駅の北側は廃構内踏切だが、南側は実は現役。構内踏切は南側にもう一本あり、写真左に写っているゴミ収集所へ行くために利用されているようだ。

妙に味のある看板が…