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東上101号~109号踏切

OpenStreetMapでみずほ台駅~鶴瀬駅間を見る。
みずほ台駅は昭和52年(1977年)に新設された駅だが、元は昭和2年(1927年)から13年(1938年)まで水谷停留場があった場所に造られた。
駅周辺は昭和46年(1971年)から54年(1979年)にかけて行われた富士見市みずほ台土地区画整理事業により大きく土地割が変更されているため、踏切位置は富士見市立中央図書館所蔵の「区画整理誌」(富士見市みずほ台土地区画整理組合, 1980)を参考とした。
みずほ台駅は昭和52年(1977年)に新設された駅だが、元は昭和2年(1927年)から13年(1938年)まで水谷停留場があった場所に造られた。
駅周辺は昭和46年(1971年)から54年(1979年)にかけて行われた富士見市みずほ台土地区画整理事業により大きく土地割が変更されているため、踏切位置は富士見市立中央図書館所蔵の「区画整理誌」(富士見市みずほ台土地区画整理組合, 1980)を参考とした。

東上101号踏切はみずほ台駅西側の道路が線路脇に出るあたりにあった。区画整理前は道路が南北に通っていたが、駅前広場を作るのに合わせ旧道は廃止されている。
このページの写真はすべて2025/11/19撮影。
このページの写真はすべて2025/11/19撮影。

鶴瀬方向に歩いていくと跨線橋(みずほ台歩道橋)があるが、ここには踏切はなかった。
ここには市道が線路を跨いでいく構想があったようだが、計画化されることなく現在に至っているという。
ここには市道が線路を跨いでいく構想があったようだが、計画化されることなく現在に至っているという。

東上102号踏切は区画整理地域西側に残っている旧道が北から斜めに線路に突き当たる場所にあった。南側の旧道は廃止されており残っていない。

そこから鶴瀬方向に坂を降りていったところにあるのは東上104号踏切。

では東上103号踏切はどこにあったのか。
国土地理院Webサイトで昭和22年の空中写真(米軍撮影)を見ると東上104号踏切のみずほ台寄り、写真右側に見える住宅のあたりに道路があり、そこから踏切に入っていくように見える。現在は道路もなくなっており正確な位置を見つけるのは難しい。
国土地理院Webサイトで昭和22年の空中写真(米軍撮影)を見ると東上104号踏切のみずほ台寄り、写真右側に見える住宅のあたりに道路があり、そこから踏切に入っていくように見える。現在は道路もなくなっており正確な位置を見つけるのは難しい。

富士見江川の水路敷を利用した架道橋。

架道橋の鶴瀬側にある坂道を上っていったところ、道路と東上線が同じ高さになるあたりに東上105号踏切があったらしい。

東上106号踏切は道路が線路両側から突き当たる場所にあった。

そこからすぐ鶴瀬寄りにある東上107号踏切。かなり幅の狭い踏切だが、車両も通行できるようだ。

東上108号踏切跡も線路両側から道路が突き当たりになっている。

鶴瀬駅手前にある東上109号踏切。

踏切脇にあった「人間優先道路」の看板。踏切が、ということではなく踏切脇にある側道を指しているのだと思うが車止めも設置はされているのでオートバイもダメという意味だろうか。
富士見市内にはここの他にも人間優先道路(車両侵入が規制されていない道もあるようだ)はそこかしこにあるようだ。
富士見市内にはここの他にも人間優先道路(車両侵入が規制されていない道もあるようだ)はそこかしこにあるようだ。

踏切から見た鶴瀬駅。鶴瀬駅は東武東上線の前進である東上鉄道が大正3年(1914年)に開業した際に設置された駅のひとつで、鶴瀬という地名は明治22年(1889年)に鶴馬村と勝瀬村が合併した際に双方から一字ずつ取って名付けられたものだ。