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東上110号~121号踏切

OpenStreetMapで鶴瀬駅から東上114号踏切までを見る。
鶴瀬駅からしばらくは廃踏切がなく現役の踏切が続いている。
鶴瀬駅からしばらくは廃踏切がなく現役の踏切が続いている。

鶴瀬駅の下り側にある東上110号踏切。そこそこ交通量があり、徒歩で渡るときには注意が必要だ。
このページの写真は特に記載がなければすべて2025/11/19撮影。
このページの写真は特に記載がなければすべて2025/11/19撮影。

「緑の散歩道 権平山」から西側に向かって線路をくぐっているのは蓋暗渠だった。

東上111号踏切は北側にあけぼの商店街、南側につるせ台商店街が伸びる通りにある。

ゆるやかに北へカーブしていく東武東上線の東側から東上112号踏切を見たところ。写真奥に見える巨大な塔は鶴瀬西配水場の給水塔だ。

東上113号踏切は東武東上線が砂川堀に向かって下り始めるところにあり、若干掘り下げられている。前後の道路に比べて踏切の道幅は狭く、車両は西向き一方通行になっている。

地元では河岸道と呼ばれているという東上114号踏切まで来ると踏切両側の土地とだいぶ高低差があるのがわかる。

OpenStreetMapで東上114号踏切からふじみ野駅までを見る。
一転してこちら側は廃踏切が連続している。
一転してこちら側は廃踏切が連続している。

旧東上115号踏切の跡はすぐ近くにある。分断されているがこの道は地元で鎌倉道と呼ばれているという。

東上115号踏切から116号踏切に向かう途中にある上沢薬師堂。境内には親子三代で百観音巡礼を終えた大曽根家の子孫が建てた百番供養塔や百観音などが残っている。

薬師堂の裏手、北側にある行き止まりの道が東上116号踏切の跡。こちらから見ると線路に向かって坂を上っているが、線路は砂川堀を越えていく築堤の上にある。

築堤の下を砂川堀の旧流路がくぐり抜けている。旧流路は富士見市とふじみ野市の境になっていて、写真右側がふじみ野市となる。

そのすぐ北側、現在架道橋になっているがかつては築堤に上る東上117号踏切があった場所と思われる。
砂川堀の新流路は写真奥にある自動車教習所の敷地内で地下に潜り、写真手前方向に道路を進んでいくと再び現れる。
砂川堀の新流路は写真奥にある自動車教習所の敷地内で地下に潜り、写真手前方向に道路を進んでいくと再び現れる。

砂川堀左岸側の台地に上ったところにある東上118号踏切。ここからふじみ野駅北側にある東上128号踏切まで現役の踏切がないが、これはふじみ野駅周辺が富士見市勝瀬原特定土地区画整理事業によって大幅に区画が変更されたため残っていないためだ。

埼玉県道266号ふじみ野朝霞線の陸橋脇にある謎の扉がある場所に東上119号踏切があった。線路の北側には行き止まりでやたらと幅の広い道がある。

[再訪必要]国土地理院Webサイトの昭和36年空中写真(国土地理院撮影)を見ると、そのすぐ隣に東上120号踏切があったようだ。線路北側の道路は廃道になっているようで痕跡は残っていない。
この写真は2025/12/1撮影。
この写真は2025/12/1撮影。

砂川堀支流の水路脇に作られている遊歩道「もりのさんぽみち」。ここまでがふじみ野市で、写真左側のふじみ野駅寄りは再び富士見市になる。
市名が似ていてややこしいが、ふじみ野駅は富士見市にあって、ふじみ野市にはない。
市名が似ていてややこしいが、ふじみ野駅は富士見市にあって、ふじみ野市にはない。

東上121号踏切は富士見市立中央図書館所蔵の「後世に伝える〜新しいまちの息吹〜 竣功記念誌」(富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合, 2011)の地図によれば写真のあたりにあったと思われるが、区画整理で痕跡は全く残っていない。