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こどもの国線(長津田1号〜9号)

OpenStreetMapでこどもの国線の長津田(ながつた)駅から恩田駅間を見る。
こどもの国線は戦前の陸軍東京兵器補給廠田奈部隊填薬所(戦後は接収され米軍田奈弾薬庫)への引込線として昭和17年(1942年)に建設されたもので、米軍の接収解除後に当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)御成婚記念事業として跡地に建設された「こどもの国」へのアクセス路線として引込線の路盤を利用して昭和42年(1967年)に開業した。
軍用引込線としては現在の恩田駅北側で分岐して東へ向かう路線と西へ向かって現在のこどもの国正門付近まで行く路線があったが、こどもの国線として利用されたのは西側の路線だけで、東側は線路などの施設は撤去されている。
国立公文書館所蔵の「こどもの国線長津田〜こどもの国間線路実測平面図(昭和42年)」にはこどもの国線に長津田1号〜15号まで15ヶ所の踏切道が記載されているのだが、現在のこどもの国線の踏切は途中の欠番も含め長津田1号〜9号まで7ヶ所で、東急100周年史でも1967年開業時の踏切数は10となっている(1972年に現在の東急長津田車両工場付近にあった3号が廃止され、番号が繰り上がって9号踏切が最終となった)。
1985年には長津田6号踏切、2004年には同7号、8号踏切が廃止となったが新道の開通に伴って長津田8号が移設されたため、現在の欠番は長津田6、7号踏切ということになっている。
かなりややこしいのだが、前述の平面図で概ね旧踏切の位置が特定できるので、歴代の踏切跡をさがしてみよう。合わせて田園都市線最後の踏切だった田奈1号踏切と、廃止された東側の引込線も見に行ってみた。
こどもの国線は戦前の陸軍東京兵器補給廠田奈部隊填薬所(戦後は接収され米軍田奈弾薬庫)への引込線として昭和17年(1942年)に建設されたもので、米軍の接収解除後に当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)御成婚記念事業として跡地に建設された「こどもの国」へのアクセス路線として引込線の路盤を利用して昭和42年(1967年)に開業した。
軍用引込線としては現在の恩田駅北側で分岐して東へ向かう路線と西へ向かって現在のこどもの国正門付近まで行く路線があったが、こどもの国線として利用されたのは西側の路線だけで、東側は線路などの施設は撤去されている。
国立公文書館所蔵の「こどもの国線長津田〜こどもの国間線路実測平面図(昭和42年)」にはこどもの国線に長津田1号〜15号まで15ヶ所の踏切道が記載されているのだが、現在のこどもの国線の踏切は途中の欠番も含め長津田1号〜9号まで7ヶ所で、東急100周年史でも1967年開業時の踏切数は10となっている(1972年に現在の東急長津田車両工場付近にあった3号が廃止され、番号が繰り上がって9号踏切が最終となった)。
1985年には長津田6号踏切、2004年には同7号、8号踏切が廃止となったが新道の開通に伴って長津田8号が移設されたため、現在の欠番は長津田6、7号踏切ということになっている。
かなりややこしいのだが、前述の平面図で概ね旧踏切の位置が特定できるので、歴代の踏切跡をさがしてみよう。合わせて田園都市線最後の踏切だった田奈1号踏切と、廃止された東側の引込線も見に行ってみた。

田奈1号踏切は平成元年(1989年)に道路の立体交差化により廃止された田園都市線に残っていた最後の踏切で、これにより田園都市線の踏切はひとつもないことになった。
写真は南側から踏切跡を見たところだが、手前側には並走するJR横浜線の柿生街道踏切があって、これも一緒に廃止されている。
(参考:国立公文書館所蔵「横浜線長津田駅連絡設備新設平面図」東京鉄道管理局施設部工事第3課, 1965)
このページの写真はすべて2026/1/8撮影。
写真は南側から踏切跡を見たところだが、手前側には並走するJR横浜線の柿生街道踏切があって、これも一緒に廃止されている。
(参考:国立公文書館所蔵「横浜線長津田駅連絡設備新設平面図」東京鉄道管理局施設部工事第3課, 1965)
このページの写真はすべて2026/1/8撮影。

北側から長津田地下道越しに田奈1号踏切跡を見たところ。地下道は踏切よりもやや西側の長津田駅よりを通って駅前広場の横に出るが、旧道はまっすぐ坂道を上って踏切へ向かっていた。
(参考:「横浜市三千分一地形図(昭和30年代) 長津田」)
(参考:「横浜市三千分一地形図(昭和30年代) 長津田」)

長津田駅北口から西へ向かう道路を下っていったところにある長津田1号踏切。

こどもの国線は長津田駅から北へカーブして踏切を越え、ここから先しばらくは恩田川両岸に広がる耕作地の間を築堤でまっすぐ通り抜けていく。

恩田川越しに築堤と橋梁を見る。
恩田川は町田市本町田の滝の沢源流公園から始まるわさび沢川と同市野津田町の町田薬師池公園などを水源としている今井川が合流して町田市から横浜市へ流れる鶴見川の支流で、上流側は町田川とも呼ばれていた。
こどもの国はこの恩田川の支流である奈良川を遡っていったところにある。
恩田川は町田市本町田の滝の沢源流公園から始まるわさび沢川と同市野津田町の町田薬師池公園などを水源としている今井川が合流して町田市から横浜市へ流れる鶴見川の支流で、上流側は町田川とも呼ばれていた。
こどもの国はこの恩田川の支流である奈良川を遡っていったところにある。

恩田川左岸の直線区間北端、神奈川県道140号川崎町田線が渡る長津田2号踏切。

そこからすぐ北側、東急電鉄長津田車両工場の敷地に向かって杉山神社の参道が出てくるところに1972年まで長津田3号踏切があった。
長津田工場の開設に伴って敷地の一部として取り込まれた形になり廃止されている。
ここから先の踏切はこれに合わせて番号が付け直されているので、番号が重複するが現役の踏切については現在の踏切番号で説明していく。
長津田工場の開設に伴って敷地の一部として取り込まれた形になり廃止されている。
ここから先の踏切はこれに合わせて番号が付け直されているので、番号が重複するが現役の踏切については現在の踏切番号で説明していく。

長津田工場の敷地内ある構内踏切。

工場に隣接する東急テクノシステムの敷地には田園都市線などで長く活躍した8500系のデハ8606とデハ8506が保存されている。屋外留置だがきれいに磨かれており大事にされているようだ。

工場北側に西から突き当たる道路の先には実測平面図の長津田4号踏切があった。東急では昭和42年(1967年)こどもの国線開通時の踏切数を10としており、さきほどの3号踏切も数に入っているので開通時にはここは踏切として扱われなかったものと思われる。

長津田工場の北にあるこどもの国線唯一の中間駅、恩田(おんだ)駅。平成12年(2000年)に周辺の宅地化に伴う通勤線への転換時に設けられた。
田奈という地名は長津田と恩田の「田」と奈良の「奈」を取った合成地名なのだそうで、恩田の方は由来ははっきりしない(日陰になる田を意味するとする説がある)ものの中世・鎌倉時代にはすでに恩田郷として文献に登場するという。
田奈という地名は長津田と恩田の「田」と奈良の「奈」を取った合成地名なのだそうで、恩田の方は由来ははっきりしない(日陰になる田を意味するとする説がある)ものの中世・鎌倉時代にはすでに恩田郷として文献に登場するという。

OpenStreetMapで恩田駅北側からこどもの国駅までを見る。
地図では東側の線路が長津田5号踏切付近で分岐しているように描いているが、長津田3号踏切から5号踏切までの間にもこどもの国線の東側に並行して路盤や橋の跡が残っており、その間は複線になっていたようだ。
なお、長津田3号踏切以降の踏切番号は度々変更されているので、変遷をまとめてみた。
※長津田7号、新旧8号踏切の切り替え年度については、東急の資料に誤りがある(資料では2004年となっているが、2005年が正しい)。
地図では東側の線路が長津田5号踏切付近で分岐しているように描いているが、長津田3号踏切から5号踏切までの間にもこどもの国線の東側に並行して路盤や橋の跡が残っており、その間は複線になっていたようだ。
なお、長津田3号踏切以降の踏切番号は度々変更されているので、変遷をまとめてみた。
| 実測平面図 | 開通時 | 現 在 |
|---|---|---|
| 1 | 1 | 1 |
| 2 | 2 | 2 |
| 3 | 3 | 1972廃止 |
| 4 | - | - |
| 5 | 4 | 3 |
| 6 | - | - |
| 7 | - | - |
| 8 | 5 | 4 |
| 9 | 6 | 5 |
| 10 | - | - |
| 11 | 7 | 6 (欠番) 1985廃止 |
| 12 | 8 | 7 (欠番) 2005廃止 |
| 13 | - | - |
| - | - | 8 (新) 2005新設 |
| 14 | 9 | 8 (旧) 2005廃止 |
| 15 | 10 | 9 |

恩田駅北にある徳恩寺の入口にある長津田3号踏切。1972年までは4号で、実測平面図では5号だった。
高野山真言宗徳恩寺は建武2年(1335年)の開山だが、十世紀末にはすでにここに庵があったという。
高野山真言宗徳恩寺は建武2年(1335年)の開山だが、十世紀末にはすでにここに庵があったという。

踏切東側に残っている路盤は恩田駅付近で分かれる引込線の南端部分らしい。
ここから長津田5号踏切手前までは複線状態になっていたようだが、こどもの国線を複線化する計画はないので空き地のままになっている。
ここから長津田5号踏切手前までは複線状態になっていたようだが、こどもの国線を複線化する計画はないので空き地のままになっている。

逆光で見えないが、踏切北側の奈良川左岸に道祖神文字塔(左)と双体像道祖神がある。
実測平面図ではこのあたりに踏切(6号)があったことになっているが、それらしい痕跡は見当たらない。
実測平面図ではこのあたりに踏切(6号)があったことになっているが、それらしい痕跡は見当たらない。

そこからすぐ北側、こどもの国線と奈良川に並走する神奈川県道139号こどもの国通りから奈良川に向かって細道が伸びているが、この先に実測平面図で踏切(7号)があった。線路の西側には廃道が残っていることが空中写真でわかる。

なら川の矢剣橋となりにある長津田4号踏切(1972年までは5号、実測平面図では8号)。

踏切北側には、引込線の橋桁(ガーダー橋)が残されている。

長津田4号踏切を通過する横浜高速鉄道Y001F。牛柄にラッピングされており側面には「うしでんしゃ」と書かれている。
こどもの国線は横浜高速鉄道が線路を保有する第三種鉄道事業者で、旅客輸送を担当する東急電鉄が第二種鉄道事業者となっておりこの車両も横浜高速鉄道の所有となっている。
こどもの国線は横浜高速鉄道が線路を保有する第三種鉄道事業者で、旅客輸送を担当する東急電鉄が第二種鉄道事業者となっておりこの車両も横浜高速鉄道の所有となっている。

奈良橋交差点の近くにある長津田5号踏切(1972年まで4号、実測平面図では9号)。
踏切手前の駐車場との仕切りには古レールが使われているが、引込線のものだろうか。
踏切手前の駐車場との仕切りには古レールが使われているが、引込線のものだろうか。

踏切の西側から東の奈良橋バス停方向を見ると、線路と道路の間に斜めに引込線の路盤が残っている。
ここから引込線が現在こどもの国線として利用されている西側の線と、こどもの国牧場口駐車場へ向かう東側の線に分かれていた。
ここから引込線が現在こどもの国線として利用されている西側の線と、こどもの国牧場口駐車場へ向かう東側の線に分かれていた。

ここからいったん東側の引込線あとへ寄り道してみよう。
奈良橋バス停(十日市場駅前方面)からこどもの国線東側に移った奈良川を見ると、斜めに川に向かって路盤の跡が続いている。
奈良橋バス停(十日市場駅前方面)からこどもの国線東側に移った奈良川を見ると、斜めに川に向かって路盤の跡が続いている。

奈良川左岸に渡って住吉橋を下流側から見たところ。住吉橋を通る道路は昭和30年代の旧道があった位置にあり、川を渡ってきた引込線の踏切があった。
川脇の歩道が旧に狭くなっているあたりから向こうの車道左側が引込線の路盤と思われる。
川脇の歩道が旧に狭くなっているあたりから向こうの車道左側が引込線の路盤と思われる。

上流の万年橋を東側から見たところ。
万年橋手前で南北の旧道が合流して西に向かっていたのでここには踏切はない(路盤は写真手前の道路部分)が、写真奥の方には後で行く平成17年(2005年)に廃止された長津田6号踏切がある。
万年橋手前で南北の旧道が合流して西に向かっていたのでここには踏切はない(路盤は写真手前の道路部分)が、写真奥の方には後で行く平成17年(2005年)に廃止された長津田6号踏切がある。

万年橋の北側で西寄りに曲がる奈良川から引込線が分かれて行くが、分岐点あたりに東西にわかる旧道があって、引込線の踏切があった。

住吉神社の下を通る道(左に行くと長津田8号踏切に出る)に出るところでは引込線の路盤は道路の左側にあったようだ。交差点左に踏切があった。

東西引込線の間に張り出している丘陵の上にある住吉神社。安永元年(1772年)に奈良村の鎮守として創建されたという。

住吉神社東側、動物病院の駐車場になっている部分が引込線の線路跡で、手前の道路に踏切があった。写真左側には奈良川の支流が流れている。

線路跡は住宅になっていて通れないので、支流右岸側の道路から眺めてみる。
水路の向こうに見える擁壁のあたりに引込線があったと思われるが、擁壁そのものは新しく造られたものに見える。
水路の向こうに見える擁壁のあたりに引込線があったと思われるが、擁壁そのものは新しく造られたものに見える。

牧場口駐車場を南側から見たところ。多客時のみ解放される臨時駐車場のため、この日は閉鎖されていた。
写真右端あたりに東側の引込線最後の踏切があり、駐車場が貨物ヤードとなっていた。
写真右端あたりに東側の引込線最後の踏切があり、駐車場が貨物ヤードとなっていた。

さて、奈良橋バス停まで戻ってこどもの国駅へ向かおう。
道路を挟んで線路脇にある奈良橋バス停(奈良北団地折返場方面)を見る。バス停と線路の間にある植え込みが北側で切れているあたりに実測平面図では10号踏切が描かれているが、開通時には踏切としては扱われていなかったようだ。
道路を挟んで線路脇にある奈良橋バス停(奈良北団地折返場方面)を見る。バス停と線路の間にある植え込みが北側で切れているあたりに実測平面図では10号踏切が描かれているが、開通時には踏切としては扱われていなかったようだ。

長津田5号踏切を渡って線路西側からこどもの国方向を見たところ。奈良橋バス停からやや斜め手前に渡ってきていた実測平面図で長津田10号踏切とされていた古道の先、写真奥で線路と道路が左へカーブして行くところに1985年に廃止された長津田6号踏切(1972年まで7号、実測平面図では11号)があったはずなのだが、現在痕跡はまったく残っていない。

国土地理院Webから昭和45年の空中写真(国土地理院撮影)。
廃止された長津田6号踏切が写っているが、線路の西側には1軒の大きな屋敷があるだけのように見える。
廃止された長津田6号踏切が写っているが、線路の西側には1軒の大きな屋敷があるだけのように見える。

線路東側に戻って2005年に廃止された長津田7号踏切(1972年まで8号、実測平面図では12号)の跡を見たところ。「踏切は平成17年3月31日閉鎖になりました」という看板がついている。
6号と7号が廃止された際には踏切番号の付け直しが行われなかったため、現在この二つは欠番になっている。
6号と7号が廃止された際には踏切番号の付け直しが行われなかったため、現在この二つは欠番になっている。

7号踏切から北に進んだところに実測平面図ではもう一つ踏切(13号)が描かれている。

西側から長津田8号踏切を見たところ。奥には住吉神社が見える。
この踏切は道路と合わせて2005年に新設されたもので、それまでの8号踏切はもう少し北側にあった。
この踏切は道路と合わせて2005年に新設されたもので、それまでの8号踏切はもう少し北側にあった。

旧長津田8号踏切(1972年まで9号、実測平面図では14号)はこどもの国通りから駐車場に向かって左に外れる道路の先にあったが、2005年に新8号に切り替えられて廃止されている。

こどもの国線最後の踏切である長津田9号踏切(1972年まで10号、実測平面図では15号)は、こどもの国正面駐車場を眺める位置にある。この駐車場は引込線の貨物ヤードではなく、引込線はこどもの国駅よりも北、こどもの国の園内まで続いていた。

1面1線の終着駅こどもの国駅。引込線はここから写真右奥へ伸びていた。

終端の車止めより手前に「雪」と書かれた標識がある。車止めは簡素なもので緩衝装置は付いていないため、雪の日はスリップ対策としてやや手前で停止するのだろう。

こどもの国正門から園内方向を見る。引込線は園内の中央広場奥まで伸びていたらしい。