光03 光が丘駅〜練馬区役所
OpenStreetMapで
光03系統の路線跡(南側)を見る。
平和台四丁目と桜台駅の間は単独路線で、みどりバス以外には交差する路線もないのだが、利用が芳しくなかったようで2014/4/15をもって廃止された。
※くぐるなあぶない でんしゃにちゅういさんの情報を元に、再調査、修正しました。ありがとうございました。
国際興業バスではおなじみの簀巻き(バス停が養生シートでグルグル巻きになっている)が残っているのは目白通り上にある豊玉北四丁目バス停の光が丘方向。
となりの西武バス側(練48新江古田駅行きの桜台駅通りバス停)はまだ現役。
※当初廃バス停名を「桜台駅通り」としていましたが、
バス停検索で国際興業バス側が「豊玉北四丁目」であることを確認しました。
このページの写真は特に記載がなければ2017/3/20撮影。
すでに廃止から3年近くが経つが、告知も含め廃止当時のままになっているようだ。
バス停マークが半分欠けて下に置かれている。それにしても、このバス停は埋め込み式ではなく置かれているだけのように見えるのに、なぜ今だにこのままなのだろうか。ここから北へ向かう光03系統のバス停は、氷川台駅まですべて撤去されてしまっているようなのだが。
西武バス側(桜台駅通り)のバス停も微妙にパッチ当てされている。練48系統は2013/4/1に運行を開始した比較的新しい路線だが、実はもともと都営バスと共同運行の大泉学園駅〜新宿駅西口として1959/3/1から走っていた路線(132系統、1972/11/12から宿62系統)。
さらに遡ると戦前の東京環状乗合自動車(通称・黄バス、1942年に東京市バスへ統合)が持っていた路線で、1947/9/1から運行を開始した都バス108系統(当初は豊島園〜新橋駅、のちに石神井公園駅、大泉学園駅まで延伸。1970/10/21廃止)というのもここを通っていたそうだ(都営バス情報館
橋68、
新江62による)。
西武バスは1973/6/10に一度撤退し、都営バス単独路線となっていたが、大江戸線の開通に伴って路線が短縮され、1997/12/19から新江62系統となっていた。半年ほど新江62と練48は同じ路線を並走していた(共同運行ではなかった)が、都営バスが2013/9/30で撤退したため、現在は西武バスの単独路線となっている。その練48もメインは練馬駅折り返しで、このバス停には日曜日だけ週1回の運行となっている練48-1系統しか来ないというので、廃バス停となってしまう可能性もありそうだ。
反対側になる練馬方向のバス停は、おそらく現在関東バスの「桜台駅通」と都営バスの「豊玉北四丁目」バス停の位置にあったものと思われるが、国際興業バスの痕跡はない。
かつてはここに西武バスの桜台バス停もあったという。同じ場所なのにバス停の名前が3種類もあったとは。
桜台駅西側の西武池袋線高架下には、光03系統の桜台駅バス停の跡が路面に描かれた「バス停」マークだけ残されていて、バス停は撤去されている。関東バスと都営バスの桜台駅バス停は千川通りにあるので、ここにはもうバスは来ない。
この写真は2018/7/22撮影。
2011/7/2の写真にはしっかりバス停が写っている。
続いて、OpenStreetMapで
光03系統の路線跡(北側)を見る。
氷川台駅バス停は駅の入り口からは少し離れ、石神井川対岸のサミットストア前にある。
サミットストア前にある光が丘方向の氷川台駅バス停。光03系統廃止後も路線バス降車専用ということで残されている。
このバス停、実は池袋駅西口から来る深夜急行バス〔ミッドナイトアロー光が丘・和光市〕の降車場所になっているのだ。
バスが来ない反対側のバス停はきれいさっぱり撤去されてしまっている。
氷川台駅から光03系統は城北公園通りを通って、氷川台駐在所前交差点を平和台方向へ向かう。アパートの前に唐突に置かれているベンチは、もともと氷川台二丁目バス停に置かれていたものだ。防火水槽の標識の前あたりに練馬区役所方向のバス停があった。一方、光が丘方向のバス停はだいぶ西寄りで、写真奥のアコレの前に設置されていた。
この写真は2019/9/22撮影。