練97 白子坂下⇔南栄町、湯~ぐうじょう
OpenStreetMapで
旧川越街道を見る。今回のルートは、2009/3/31に廃止されたときには増15 成増駅入口⇔朝霞駅南口という路線だったのだが、路線としての歴史は古く、2003/11/15で朝霞駅を境に路線が分割されるまでは練97 練馬北町車庫⇔湯~ぐうじょう(1998/7/31までは丸沼まで)、1985/9/30までは下赤02-2 練馬北町車庫⇔丸沼(1981/3/31までは花の木まで)として運行されていた。
最初の下赤02-2は1976/10/1に新設された下赤02の出入庫路線で、最後の増15では営業所が西浦和に移管されていたが、今回は分割前の終点である「湯~ぐうじょう」バス停の跡も見に行くため、練馬営業所最後の朝霞市乗り入れ路線である練97として紹介する。
旧川越街道の白子坂下交差点を成増寄りから見たところ。和光市を抜けて朝霞市に向かう旧川越街道は路肩が全面的に更新されているため、深夜急行バスの降車場以外は廃止されたバス停の痕跡が全く残っていない。
和光市の古い地図、YouTubeなどに公開されていた増15の乗車記録映像や、東武バスウエストのバス停情報などから、可能な限りバス停の位置を推定してこうと思う。
さらに、和光市の古い住宅地図から不明だったバス停の位置を特定したので、それもあわせて確認していく。
このページの写真は特に記載がなければ2022/5/28撮影。
とんかつ店の脇まで進んで振り返って東埼橋方向を見る。朝霞方面のバス停は古い住宅地図によれば、写真右端のマンション前あたりにあったと思われる。
一方、成増方面のバス停は写真矢印の位置、とんかつ店脇の建物の前にあったことがわかっている。
白子坂下交差点の西側にある魚くめ。旧街道らしい古い建物がそのまま使われているが、現役の魚屋として営業を続けている。
白子坂南側の斜面から大量の水が湧き出している富澤湧水。白子川が削った崖からは各所で湧水がある。
白子坂を上ったところ、電器店の駐車場わきに国際興業バス(深夜急行バス)の白子坂上降車場があり、増15時代のバス停がそのまま利用されている。
成増方面のバス停は痕跡が残っていないが、写真左側にみえるクリニックの看板あたりに立っていたと思われる。
次の浅久保バス停も、成増方面は電柱看板の脇に立っていたことがわかっている。
朝霞方面は住宅地図によれば、写真右端のゴミ集積所近辺にあったと思われる。
旧川越街道と浅久保通りの交差点西北側には、民家の軒先に庚申塔文字塔が残っていた。
外環自動車道を渡る歩道橋には、「ニホニウム通り」と描かれていた。
実際には、和光市駅東側の丸山台から外環側道を通って南側の理化学研究所まで向かう道筋がニホニウム通りと名付けられていて、歩道橋はその途中。ニホニウムは2012年に理化学研究所が発見した113番元素で、2016年にそれにちなんで命名された。
1989年の東京都内乗合バス・ルート案内では、浅久保の次は和光市役所となっている。
現在の中央公民館が1993年までは和光市役所だったことから、市内循環バスの中央公民館バス停が元は和光市役所バス停だった可能性がある。
この写真は2022/6/4撮影。
次の和光市駅入口は両方向のバス停が残っているが、朝霞方面は深夜急行バスの降車場となっている。成増方面は西武バスの泉39-1 和光市駅南口→大泉学園駅北口が、国際興業バス時代のバス停をそのまま利用している。
練97や増15は深夜急行バスと同様に和光市駅まで入っていかなかったので、このバス停を使っていたはず。
原新田というのはこのあたりの旧地名らしい。道路北側、成増方面では写真奥の方の矢印の場所に2021/3/12で廃止された東武バスウエストの和04 和光市駅南口~和光市役所循環のバス停があったが、2010年のGoogleMapでは手前の矢印のあたりにバス停があった。いずれにせよ、練97や増15のバス停もこのあたりにあったと思われる。
道路の反対側から朝霞方向を見たところ。住宅地図によれば、朝霞方面のバス停は写真手前の速度制限標識あたりにあったと思われる。
この写真は2022/6/4撮影。
さらに西へ向かって進む途中で見つけたさび付いた看板。
本町(ほんちょう)小学校前を成増寄りから見る。
住宅地図によれば、朝霞方面の本町バス停は写真左側の新聞販売店あたりにあったようだ。
ところで、1989年の東京都内乗合バス・ルート案内では、「中央病院・本町」という名称で記載されている。中央病院というのは交差点を右に曲がったところにあり、2017年に菅野病院に統合された東武中央病院のことを指すのだと思われる。東武と付くが、東武鉄道の経営ではなかったようだ。
成増方面の本町バス停は交差点の西側、写真中央の電話ボックスの近辺にあったと思われる。
旧川越街道が越戸川の水路敷を越えてすぐに和光市と朝霞市の市境を越える。栄町四丁目バス停は市境を越えてすぐ、給食センターの向かいにある照明灯のあたりに成増方面のバス停があった。朝霞方面のバス停位置は、給食センターの前にあったらしい。
なお、1989年の東京都乗合バス・ルート案内では、朝霞台町バス停となっているのだが、栄町四丁目と同じに位置にあったのかはわかっていない。
南栄町バス停の成増方面は、同じ位置に朝霞市内循環バスの栄町市民センター入口バス停として残っている。写真奥のガソリンスタンド側にもバス停がある。ただし写真手前の標識は国際興業バス時代のものではない。
ガソリンスタンドの前には、国際興業バス時代の南栄町バス停が、深夜急行バスの降車場として残されている。しかしメンテナンスされていないためか、標識の一番上にあったはずのバスマークが地面に落ちてしまっていた。
ここから練97、増15はもう少し旧川越街道を西に向かった後、城山通り・市役所通り回りで朝霞駅へ向かい、練97は駅北側の陸橋を越えて朝霞秋ヶ瀬通りへ、黒目川と新河岸川を渡って武蔵野線の北側を回り込んでから内間木公園の北側にあった湯~ぐうじょうへ向かっていた。
湯~ぐうじょう周辺の地図。湯~ぐうじょうは1997年に朝霞市が憩いの湯として建設した準天然温泉なのだが、2005年に浴槽から大量の漏水があることがわかり、翌2006年には休業している。
最初にも書いたように当初花の木、その後丸沼までの運行だった国際興業バスは、転回場として利用できることもあって1998/8/1から「湯~ぐうじょう」行きとして運行を始めているのだが、実は練97が廃止され、朝50 朝霞駅東口⇔湯~ぐうじょうとなったあとで施設の休業した後もそのまま「湯~ぐうじょう」バス停として存続させており、バス停の名称を変更したのは2015年になってからであった。
湯~ぐうじょうの施設はバス停名称が変わったのちの2016年に解体されてしまい現存していない。矢印のインターロッキング舗装の向こう、休業していた湯~ぐうじょうの正門前にバス停があった。
転回場としての機能は東側にあった空き地に移されており、現在ではここに国際興業バスの内間木(うちまぎ)バス停と、朝霞市内循環バスの内間木公園バス停が同居している。
元はといえば最初の終点だった花の木周辺は道路の混雑がひどくバスの定時運行に支障があったといい、終点が丸沼だったころは、転回設備がなく武蔵野線南側の工場敷地を借りて転回していたそうだ。それを考えると、誰も乗り降りしそうもない場所にあるこの転回場も役には立っているのだろう。
最後におまけで朝霞方面の成増駅入口バス停。国際興業バスの標識には、矢印部分にまだ「練97 湯~ぐうじょう」という表示をシールで隠した跡が残っている。
この写真は2022/5/29撮影。