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越戸川・谷中川とその支流(谷中川上流部)その4
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ねりまっぷ
和光市ガイドマップで谷中川上流端部分を見る。
谷中川の最上流部は、大泉学園町の北端あたりから、現在の大泉中央公園を通って西から東へ向かって流れていた。
陸上競技場
大泉中央公園の陸上競技場。このあたりでは、谷中川の流路はまったく残っていない。
大泉中央公園一帯は、戦前「朝霞ゴルフ場」と呼ばれ朝霞市の由来ともなった東京ゴルフ倶楽部があったところ。戦時中は陸軍士官学校があり、戦後は米軍のキャンプドレイクサウスの一部になっていたが、一回りしてスポーツ施設になったということか。
ちょうの里
グラウンド脇には、「ちょうの里」と名付けられた庭園がある。ジャコウアゲハなどを保護しているそうだ。
緑地
公園西側は緑地になっている。
水路
公園南側の噴水から西へ向かって遊歩道沿いに水路が造られているが、谷中川とは逆向きに流れており(もっとも、写真では水はながれていない)人工的に造られたもののようだ。
微谷
大泉中央公園西側の道路。南北に走る道路の中央に微妙な谷があり、もともとは谷中川が流れていたあたりだと思われる。
ここから西側は学校などの敷地になっていて水路跡をたどることはできない。
桜学園
大泉桜学園西交差点。写真右側にあるのは大泉学園桜小学校と桜中学校なのだが、両方まとめて一貫教育校として「大泉桜学園」というのだそうだ。
谷中川は昭和初期の地図によれば写真中央の歩道のあたりを流れていたようで、上流端はもう少し先。
一方、交差点左側が大きな窪地になっており、そちらも気になるので後で見てみよう。
ここからの写真は2018/11/25撮影。
上流端
上流端があったと思われるあたりは、現在空き地となっているが、隣接する大泉学園町希望ヶ丘公園運動場(…長い)の拡張工事が予定されているようだ。この場所にはかつて学校があったことが地図からわかるが、写真左側の段差がもとからあったものなのかどうかは分からない。
段差
大泉桜学園西交差点に戻って、西側に向かう道から桜学園方向を見たところ。こちらから見ると、歩道部分が階段になっているのがわかる。どちらかといえば、道路側が盛り土されているのではないかと思わせる地形だ。
谷
西側の交差点あたり。現在でもこの辺りが東西に伸びる谷間の底になっていて、昭和38年の空中写真では、写真手前の歩道あたりに水路があるようにも見えるのだが、詳しいことはわからない。
北側から
北側の大泉学園町九丁目西交差点の方から見たところ。結構大きな段差のある谷なのがわかる。
長久保
最後に、少し戻って大泉中央公園西口から南へ行った長久保交差点付近を見て回ろう。写真は西側から西武バス操車場を見たところ。長久保交差点は写真では分かりにくいが南北に伸びる谷間になっていて、谷中川から南へ谷が伸びている。
長久保という地名は、大泉中央公園を含むこのあたり一帯の字名だが、もともとは現在和光市になっている下新倉村(のちに新倉村)の字で、明治24年(1891年)に榑橋村とともに東京府上土支田村と越境合併して東京府に編入され大泉村となった。
地蔵尊と庚申塔
谷を南へ進んでいくと、長久保道の脇に南向きに地蔵尊と庚申塔が安置されていた。頑丈な策に囲まれていて、大事にされているようだ。
谷頭
谷を進む道は途中で行き止まりとなり辿れなくなるが、谷そのものはもう少し南まである。
馬頭観音
最後に、谷から少し東に行ったところに残されている馬頭観音。左に長久保道がさきほどの地蔵尊の方へ向かっている。長久保道は練馬区高松二丁目にある宮田橋(現在は石神井川の流路が付け替えられたため橋はない)あたりで清戸道(目白通りの旧道)と別れ、光が丘、土支田を通ってここまで来る道。この先は清瀬市の下清戸まで向かっていたそうだ。
馬頭観音には「武州新座郡下新倉新田」という記載が残っていた。

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