赤塚庁舎の脇に向かって水路敷が続いている。
赤塚庁舎の西側に谷筋があり、都道446号(松月院通り)まで上っていっている。松月院通りを越えて北側の旧道は前谷津川水系と白子川水系(赤塚川または谷津田川)との分水嶺になっているが、北側の谷の入り口に庚申供養塔が建っていた。宝暦2年(1752年)の銘がある。
さて、前谷津川緑道脇の水路敷まで戻ってみよう。途中まで普通に道路だった道は水路敷らしい細道に変わる。
進んでいくと右側(北側)から蓋暗渠が交差してくる。
北側に向かう蓋暗渠。行き止まりで左に曲がっているように見える。
南側を見てみると、舗装された水路敷と、未舗装の水路敷に挟まれて倉庫が建っている。その向こうに見えるのは前谷津川緑道(ここでは車道)。
前谷津川緑道側から上流方向を見る。左側(南側)から道路が合流してくる。
倉庫を右目にして、正面には赤塚しのがやと公園が見えてくる。
公園の周りには幅の広い遊歩道が整備されているが、本来の川筋は公園の中を抜けていたようだ。公園の名前にあるように、近辺の字名は「篠ヶ谷戸」と呼ばれていた。あたりには篠竹が茂っていたことから名付けられたという。
公園北側で下流側をみたところ。さきほどの脇道と交差していた蓋暗渠がここからまっすぐ流れていっている。
公園北側の遊歩道。
公園の上を見上げたら不気味な雲が垂れ下がってきていた。いわゆる乳房雲というものだろう。この日(2019/5/4)は東京から埼玉にかけての広い地域でみられたようだ。
赤塚しのがやと公園の南側には、前谷津川の流れを模した石畳の水路が造られている。
北側の遊歩道は道路に突き当たって南へ。
南側の道路から分岐点を見る。その先に上流部分が車止めのある道路になって続いている。
車止めの向こうに進んでいこう。
くねくねとした水路敷の道路を進んでいくと、正面に突き当たりが見えてくる。
突き当たりの車止めのところで、南北から来る水路敷が合流していた。南側は空き地になっているが立ち入ることはできない。
ここからの写真は2019/6/20撮影。
南側の空き地は板橋区立下赤塚小学校に向かって伸びているように見える。水路は小学校の敷地を抜けていたようなので、とりあえず南側まで回っていってみよう。
下赤塚小学校東側に隣接している篠塚稲荷神社。かつてここには塚があり、古墳ではなかったかとも言われているそうだ。篠崎氏が塚に建てた神社なので篠塚稲荷神社という名前になったのだいう。
ここからの写真は2019/5/4撮影。
下赤塚小学校の南側に細い水路敷を見つけた。
住宅の裏をジグザグに進んでいく水路敷。
右側の道路は水路敷ではないようだが、この場所、地図で見ると左側に谷筋が分岐しているのだ。
東側の道路から水路敷方向を見たところ。水路敷に向かって道路が下っていっているが、合流する前に民家の所有地に阻まれている。
東側の道路には、文化3年(1806年)造立の青面金剛庚申塔が置かれていた。
庚申塔から下赤塚交番に向かって道路が上っていくが、谷筋は道路より西側にあったようだ。写真の奥にある駐車場の手前が微妙な谷間になっている。
写真では分かりにくいが、寿司店の右側が谷間になっているが、あたりを歩いてみるとわかる。
谷筋に道路や水路敷はないが、最終的に下赤塚駅北側の道路あたりが谷頭のようであった。
一方、水路敷に戻って進んでいくと、道路に突き当たったところで水路敷が道路向こうで右側に続いている様子が見て取れる。
かつてはここに橋が架けられていたのかもしれない。
水路敷は微妙なカーブで道路と別れていく。
しばらくはいかにも水路敷らしい細道を進んでいく。