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桃園川の水路敷群(新堀用水)その2
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ブランコ
児童遊園といっても、一人分のブランコが置かれているだけだったり。
車止め
奥の方にあるピンク色の柱の車止めはどうやら金太郎のようだ。
斜め
なぜは若干斜めに植っている金太郎の車止め。ここで合流する支流側に向けられている。
支流
金太郎の向こう、青梅街道から流れてくる支流があるので、いったんこちらに寄り道してみよう。
直線
支流は一直線に青梅街道へ向かって上っていく。
車道
青梅街道が見えてきた。ここから先は自動車通行可能なようだ。「杉並の川と橋」によれば、新堀用水が通る以前から青梅街道の向こう側にある湧水を水源とした用水路(石橋用水)が桃園川に向かって流れていたという。だとってきた水路敷はそのまま新堀用水に転用されたらしい。
青梅街道
青梅街道から支流を見る。
電話店
梅里中央公園入口バス停脇にある「電話屋さん」。もちろん営業していないが、電話店という商売が成り立っていたのは何時ごろまでだろう。
いまでも電話加入権という権利自体は残っているそうだが、かつては電話のインフラ整備の費用負担という意味合いもあって、新たに電話を引く(そう、電話回線を物理的に引っ張ってくるので「引く」と言っていた)ためには電話加入権を購入しなければならなかった。したがって、この店で売買していたのは電話機ではなく、加入権だったはずだ。
児童遊園
さて、新堀用水に戻って進んでいこう。馬橋児童遊園はまだ続いており、同じ形のブランコが奥に置かれているのが見える。
石垣
途中、結構しっかりとした石垣のある家が並んでいた。
上り
南阿佐谷すずらん通り商店街になっている旧鎌倉街道に向かって、急に水路敷が上り始めた。天保新堀用水は胎内掘りと呼ばれる素掘り(手掘り)のトンネルでこのあたりに出てきていたという。トンネルは埋め戻されてしまったため現在では確認することができないらしい。
すずらん通り
すずらん通りに着いたところで、前半部分は終了となる。
西側
ここで少し桃園川の方に戻って、左右の推定水路を探してみよう。まず西側、高井戸南公園から馬橋庚申堂へ向かってへ少し進んだ場所。道路の右側(西側)の方が高くなっているのがわかる。古道だったのか、水路だったのかはよくわからない。
扉
続いて東側。八反目上橋から南へ向かっていくと、道路は高井戸保険センターにぶつかってなくなっているのだが、南側に大きく回り込んだところに所在なげに建っている扉があり、地図上ではこの先が道路扱いされている。どうやらここが残された新堀用水の水路跡ということらしい。
東側
そこから東側の推定水路跡を上流へ向かうが、弁天湯の通りで再び道路は途切れてしまい、馬橋通りまでは水路敷としては残っていないようだ。空中写真では水路跡と思われる緩やかなカーブが見られ、南側にはかつては池があったという。
さらに上流方向に水路跡を探しにいくと、阿佐谷にしはら公園の南側にそれっぽい道路が伸びている。さきほどの西側と同様に、道路の左(東)の方が高くなっているのがわかる。
分岐点
そのまま道路を進んでいくと、突き当たりが見えてくる。古地図では突き当たりの右側でさきほどたどった水路敷から水路が分かれているように描かれている。
猿田彦神社
おまけで新堀用水から馬橋通りを青梅街道方向に南下する途中にある猿田彦神社。境内には太道教本部があり、そちらと同じ宗教法人が管理しているようだ。

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