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桃園川の水路敷群(新堀用水)その3
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すぎナビで新堀用水南部を見る。
新堀用水は、善福寺川を現在の天神橋公園がある水路敷の北端(広場堰)で分け、善福寺川が大きく南に迂回している田端神社の南側を回って、成宗須賀神社の西側にあった弁天池まで水を運び、そこでいったん溜めて青梅街道の北へ向かって流していたという。
当初は善福寺川緑地から成宗城址(現在の共立女子大学研修センター杉並寮)あたりまでと、弁天池東側から青梅街道の下をすずらん通りまで2箇所の胎内堀りでトンネルを通したが、南側はカワウソと長雨の被害があって水漏れするため、新たに広場堰から東へ直行する新しいトンネルを掘ったという。これだけの大工事を天保10年(1839年)と天保11年(1840年)のわずか2年で完成させたというから水不足への切実な思いが察せられる。
※参考資料:「杉並区立郷土博物館研究紀要別冊・杉並の川と橋」(杉並区立郷土博物館、2009)、「武蔵国多摩郡馬橋村史」(武蔵国多摩郡馬橋村史編纂委員会、1969)
民間信仰石塔
新堀用水へ向かう前に、青梅街道に向かうトンネルへ流れていた水路の水を善福寺川へ戻していたらしい水路敷を見てみる。
まずは五日市街道旧道に安置されている石塔群。写真右から元禄11年(1698年)造立の地蔵尊、宝暦10年(1760年)の馬頭観音、宝暦3年(1753年)の地蔵尊とある。
ここからの写真は2021/5/16撮影。
合流場所
石塔群の北側、東田中学校の脇に水路敷が善福寺川に合流するポイントがある。
水路敷
東田中学校の校庭を回り込むように水路敷は北へ。
崖下
崖下の細い水路敷を進んでいく。
道路へ
しばらく進んでいくと、水路敷は道路に出た。
荻窪税務署
やや幅の広い道路を進んでいくと、荻窪税務署の前を通る。
車止め
さらに北へ進んでいく。成宗さくら公園の北側で道路は西へ逸れていき、水路敷だけが直進していく。
ここからの写真は2020/12/26撮影。
凸凹
水路敷はたびたび道幅を変えながら続いている。
分岐点
新堀用水との分岐点に着いた。新堀用水は写真奥の突き当たりを右(東)に向かってトンネルになっていたとされるが、トンネルは埋め戻されてしまい残っていないそうだ。
西へ
突き当たりからは弁天池に向かって幅の広い水路敷がゆらゆらと進んでいく。
側溝跡?
ところでここで寄り道その1。先程の分岐点下流側には、西側に並行している袋小路に側溝のあとではないかと思われる微妙な通路が残っていた。
水路?
さらに寄り道その2。北から合流してくる支流があるので、こちらを進んでみよう。
ここからの写真は2021/5/22撮影。
隙間
一本北側の道路は、古地図によっては新堀用水の水路として描かれている二車線の道路だが、そこから北(左)へ向かって住宅の隙間に車止めのある水路敷が伸びている。
東田小学校へ流れていく支流とは別に、この道路を通ってここからトンネルになっていた可能性もある。
苔
苔生した水路敷だが、そこそこ人通りもありそうだ。
坂
青梅街道に向かって徐々に坂道を上っていく。
ずれ
道路に出たところで、少しずれているが青梅街道に向かう水路敷も見える。
青梅街道
水路敷が青梅街道に出てきたところ。ここが上流端かというところだが、実はまだ道路の北側に続きとおぼしき細い道が残されている。

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