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田柄川(下流域)その4
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合流
氷川神社前の道と、水路敷の道路が合流する場所から振り返って氷川神社の森を見る。
台橋通り
再び上流へ、すぐに道路は台橋通りに突き当たる。
上板橋村役場跡
交差点の南側には上板橋村役場跡の門柱が残されている。上板橋村は江戸時代の川越街道にあった上板橋宿がそのまま村となった地域で、昭和2年(1927年)から昭和7年(1932年)までの間、ここに村役場があったという。
安養院
水路はというと、交差点を越えて安養院の敷地内から流れてきていたらしい。安養院の垣根から覗き込んでみたが、境内のやや窪んだ流路跡のようなものが残されていた。
安養院は正嘉元年(1257年)に執権北条時頼が創建(一説には再興)したと伝わる古い真言宗豊山派の寺院で、豊島八十八ヵ所霊場の発番礼所、すなわち1番目にあたる。板橋七福神の弁財天も祀られている。
境内には、水路が残されているのが空中写真から見るとわかる。
桜川小
安養院の西側、桜川小学校の正門前あたりで水路敷は道路から境内の方へ流れていっていたようだ。
この道路(あいさつ通り)も、かつては田柄川(この辺りでは桜川)を石神井川に合流させる水路として機能していた時期があったらしい。
あいさつ通り
桜川小学校の北側であいさつ通りは突き当たりを西に曲がっており、やたらと幅広い歩道部分は水路敷だったのかもしれない。
桜川緑道
桜川小、桜川中、城北中高と城北中央公園が集まる桜川小前交差点で、水路敷は桜川緑道と分岐していたようだ。
ここで今回の探索は終わりということになる。

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