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田柄用水 - 富士街道〜田無用水(分水口)その6
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地図その4
「明治前期・昭和前期 東京都市地図 2 (東京北部)」(柏書房、1996)より「田無・小金井 1937→1939) 1:10000」の一部。
西北には、白子川水系の水源のひとつともされている東京大学田無演習林がある。
この地図では、田柄用水は現在の都道112号(谷戸新道)とは合流せず、やや東側を総持寺の敷地へ向かって南下しているように見える。
地図
ねりまっぷで昭和22年(1947年)の空中写真を見る。
上の地図と多少道筋は異なるが、丁字路を南へターンした水路敷はそのまま所沢街道まで南下し、都道4号(所沢街道)に沿って西へ向かっているようだ。
南へ
前のページで見逃していた丁字路を2012/11/23に再訪。
南を向くと道路の左側に蓋暗渠があるのがわかる。
細道
南へ進んでいくと、蓋暗渠の終わりにマンションと民家に挟まれた細道が出現。
細道はすぐに西向きにターンしている。
ひったくりご用心
ひったくりご用心の看板をみつつ西へ進む。
夜来るには向かなそうな場所だ。
合流点
マンションの南側を抜けて、水路敷は都道112号(谷戸新道)と合流し、北原町一丁目交差点に向かう。
歩行者専用
交差点から振り返る。右側の駐車場との間に結構な段差があるのがわかる。
北原町一丁目
北原町一丁目交差点。田柄用水は写真正面方向を流れていたはずだが、このあたりでは谷戸新道開通の影響か、まったく痕跡が見られない。
とりあえず写真正面に小さく見える白い柵のところへ行ってみよう。
スリバチ
白い柵から道路がやや下っているのがわかる。
下りきったあたりを田柄用水が流れていたのかも知れないが、痕跡は何もない。ただし、古い空中写真を見る限り、水路はむしろ柵のあたりにあった可能性が高い。
田無町三丁目
田無町三丁目交差点から北側を振り返る。
田柄用水は、写真正面の設計事務所の右で所沢街道にぶつかり、街道の北沿いを西北に進んでいたと思われる。
歩道
道路北側へ戻る。無駄に広くなっている歩道が水路敷だったのかもしれない。
写真正面のあたりに見える緑色の柵の向こうで、水路は南へターンすることになる。
真ん中
都道12号(武蔵境通り)を過ぎたところで、所沢街道の南側に蓋暗渠のある小道が現れる。
田柄用水も、出発点である田無用水の分水口まであと少しだ。
このあとの写真はいずれも2012/8/25撮影。
最初の交差点
西向き一方通行の路地を渡ると、いよいよ分水口まであと僅か。
起点へ
写真奥の突き当りが、田柄用水の出発点である田無用水の分水口だ。
分水口
分水口から田柄用水を見る。
ここが田柄用水の出発点、田柄用水は田無用水の北側流路(現在は「やすらぎのこみち」として遊歩道になっている)から別れているのだが、その田無用水も玉川上水を分水した新堀用水のさらに分水だという。
田無用水の開通は元禄9年(1696年)、田柄用水は遥かに下って明治4年(1871年)に開通したという。上保谷をはじめとする9カ村の願いで作られた田柄用水は、関道の庚申像から3本の腕をもぎ取った空襲によって上流部が破壊されるまで、周囲の農地を潤す水路として利用されていたのだ。

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