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谷端川と周辺の水路敷群(谷端川北緑道)その4
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謎の彫像
谷端川北緑道に戻ってきた。一段高くなったところにある謎の彫像。蝋燭?
ここからの写真は2017/11/19撮影。
豊橋
谷端川北緑道が南へ転進する位置にある豊橋を西側から見る。
幅
豊橋を南側から見る。欄干のある位置よりも手前に水路敷と思われるスペースがあり、もともとの川幅はこのあたりではかなり広かったのが分かる。
東電脇
豊橋の南にある変電所の脇に、公図上では水路敷がある。変電所の南側に回り込んでみたところ、それらしい空間が残っていた。
この写真は2017/11/23撮影。
南へ
谷端川北緑道は川越街道に向かって南へ進む。写真右にある階段は、支流である出端川が合流するポイント。出端川の探索は後ほど。
この写真は2017/11/19撮影。
水路敷?
出端川の南側、谷端川から一本西側の道路から、西に向かって水路敷らしき細道が伸びていた。
ここからの写真は2017/12/9撮影。
山手通り
細道は山手通りへ登りながら合流する。
西側
山手通りの西側、延長線上には道路の中央にブロックが敷かれている路地があった(下流側を見たところ)。ここまで、水路敷が伸びているのかもしれない。
西前橋
西前橋から下流方向を見る。西前とは、豊島郡板橋町大字金井窪の字名。
ここからの写真は2017/11/19撮影。
中丸川
西前橋の南側に、西へ向かって伸びる水路敷がある。「板橋の地名」(板橋区教育委員会発行、1995年)には中丸川として載っている水路だ。こちらも後ほど上流へ向かってみたい。
金井窪橋
金井窪橋。金井窪はこの辺りの大字名。近くには、東武東上線で廃止された金井窪駅もあった。
中丸橋
中丸橋。字名や現在の町名としての中丸とは位置がずれているような気もするが。
支流
金井窪交差点から中丸橋へ向かって、古地図では支流が合流していた様子が見て取れる。ちょっと寄り道してみよう。
ここからの写真は2017/12/9撮影。
金井窪交差点
工事中で車両通行止めになっている金井窪交差点の西側にある微妙な空間。ここで支流は南から来て直角に西へ曲がっていたという。
この道路はすぐ先で山手通りから分岐しているが、その先にあった支流は山手通りに飲み込まれてしまっている。
熊野神社
山手通り沿いを南下して行くと、川越街道と交差するとこにある熊野神社の前を通過する。近辺の住所は熊野町で、地名の元になっているわけだが宇多天皇の子孫が応永年間(1394〜1427年)に創建したと伝わる古い神社だ。
ここから先は、谷端川南緑道に並行して続くので、いったん本流に戻ろう。
北浦橋
本流に戻って北浦橋。板橋町大字中丸の字名としては北裏だったようだが、裏というのではイメージが悪かったからかもしれない。
ここからの写真は2017/11/19撮影。
脇道
北浦橋の南側に、西に向かって水路敷らしき路地が伸びていた。
北浦上橋
北浦上橋。金井窪橋からずっと欄干はこのデザインが続いている。
薮
北浦上橋の南側にも、西に向かう水路敷があるが、ここは薮になっていて通行できないようだ。
KEEP OUT
水路敷のそばにある遊具には、立ち入り禁止のテープが貼られているが、単にこの壁を固定しているだけで遊具そのものは使っても良いようだ。
前田橋
前田橋。隣の建物との位置関係か、欄干の扁額が道路側を向いて取り付けられている。板橋区には加賀前田家の下屋敷があったというが、位置はもっと北のほうだ。
川越街道
川越街道に出た。前田上の橋で北緑道を上って行く探索は終了となる。

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