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善福寺川周辺の水路敷群(成田東の支流)その2
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分流
ここで蓋暗渠を上流に進む前に、東側を流れる支流との間を繋いでいる水路敷も見ておこう。東西の水路敷に挟まれた細い道があるが、ここもかつては水路敷だったようだ。
ここからの写真は2021/1/3撮影。
細道
少し進むと道幅がさらに狭くなる。
鋭角
突き当たり、ではなく、右方向に鋭角に曲がって上流方向に続いている。
路地
曲がった先は東側の水路敷に向かっている。
分岐点
東側の水路敷に到着。
蓋暗渠
再び蓋暗渠の方に戻って上流を目指す。
ここからの写真は2020/9/27撮影。
狭
途中でアスファルト舗装となり、人が通れるギリギリの幅に。
出口
水路敷の出口が見えてきた。
看板
出口には、水路敷に張り出すように「染物」という看板がかかっている。
染物
水路の水で染め物をしていたかどうかは定かではないが、かなり古い看板のようだ。
猫
近くの公園にいた猫を眺めて一休み。
最上流部へ
染物屋のところで水路敷はいったんたどれなくなるのだが、北側のマンションを回り込むように上流へ向かっていたようで、マンションの北側の道路が最上流部になるらしい。。
ここからの写真は2021/1/3撮影。
隙間
道路は住宅で突き当たりになるのだが、その右側に微妙に隙間が残っていて、どうやらこれが水路敷のあとのように思える。
上流端?
隙間を通り抜けると区営住宅の前に出るのだが、そこに西に向かって水路敷と思われる取り残された空間が残っている。ここが上流端ということになるだろうか。北側は区営住宅の中なので、今回はここで支流の探索は終了となる。
金太郎
最後に和田堀公園まで戻って少し公園北側の支流を上流へ進んでみよう。少し進んだところに、金太郎の車止めが残っていた。
ここからの写真は2020/9/27撮影。
白山神社
さらに上流へ進んだところ、台地の上にあるのが成宗白山神社。成宗はこの辺りの旧村名で、鎌倉時代の御家人の名前に由来するという。現在の地名に使われている成田は合成地名で、成宗の成と田端の田を合わせた地名ということになるが、最初から成田東、成田西とつけられたので、「成田」という町名は存在しないそうだ。
成宗白山神社の創建は伝わっていないが、源頼義が創建したと伝わる大宮八幡宮とほぼ同年代に創建されたとされており、1000年近くこの地にあるということになる。

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