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神田川周辺の水路敷群(小沢川)
地図
OpenStreetMapで小沢川の地図を見る。
小沢川は「杉並の川と橋」(杉並区郷土博物館編、2009)に記載のある神田川の支流で、途中にある複数の湧水から水を集めて流れていたという。
合流口
東京メトロ丸の内線方南町支線の中野富士見町駅脇にある富士見橋から下流方向、小沢川の合流口(矢印)は封鎖されている。
ここからの写真は2022/8/14撮影。
北から
北側の水路敷から合流口を見たところ。水路敷は神田川で行き止まりになっている。
車止め
行き止まりから振り返って北へ向かう。道路との交差点、手前側の車止めは2020年まで杉並区内で最も東に位置する金太郎の車止めがあったのだが、撤去されてしまった。ここからしばらくまっすぐ北へ進む。
交差点
車止めが設置された年代の違いでいろいろなタイプが見られる。
合流?
水路敷が一回り細くなるところ。道路奥に左(西)へ向かうスペースがあるように見える。
水路敷?
道路北側の路肩幅が広くなっており、その先の突き当りでは、写真左奥に水路敷とおぼしき細い路地が見える。
ここからの写真は2022/8/21撮影。
西側
西側まで回り込んで下流方向を見たところ。この様子だとおそらく水路敷なのだろう。
細道
さきほどの交差点まで戻って細い水路敷を北へ進む。
ここからの写真は2022/8/14撮影。
十貫坂
十貫坂に突き当たる。右(東)に曲がると十貫坂を上って鍋屋横丁へ至るが、小沢川は左(西)から流れてくる。
地蔵堂
ここでちょっと十貫坂を上って地蔵堂に寄り道。ここには元禄5年(1692年)造立の庚申塔や地蔵塔など6基が納められている。
この写真は2022/8/21撮影。
突き当り
さきほどの突き当りまで戻って西側を見たところ。北側の住宅敷地が凹んでおり、そこへ西から小沢川が流れてきていたのであろうと推測される。
小沢川は写真奥の道路から来ているが、写真奥の横断歩道を右(北)に曲がったところに、支流の谷があるので先にそちらを見ていこう。
ここからの写真は2022/8/14撮影。
蛇窪
横断歩道を右に曲がった先、西側には和田さくらの坂公園があるが、公園を巻くように上っていく坂道の右側に、「杉並の川と橋」では蛇窪と呼ばれている谷が見える。
遊歩道
蛇窪の南側は杉並区によって遊歩道として整備されているが…
通行できません
途中でいきなり「この先行き止まり 通行できません!」という標識が。
とびだしやめよう
標識の先、右側の崖は中野区になっているのだが、標識の少し手前に中野警察署の車止めが放置されていた。ここには路地も車道もなく飛び出しようがないのだが、もともとは谷の入り口に置かれていたものらしい。
草叢
舗装された遊歩道が終わった先は草叢となり、入っていくことは難しそうだ。
路地
北側の道路まで回り込んでみた。行き止まりとなっている路地の奥がさきほどの草叢の続きとなっているようだ。蛇窪としてはこの辺りが上流端ということになる。
清水窪
和田さくらの坂公園の西側から小沢川方向をみたところ。小沢川の北側に、「杉並区の川と橋」で清水窪と呼ばれている窪地が広がっている。かつてはこのあたりにも湧水があったらしい。
杉並能楽堂
小沢川まで戻って交差点の南側を見ると、杉並能楽堂という建物がある。関東大震災後の昭和4年(1929年)に本郷弓町(現在の文京区本郷二丁目)から移転してきたといい、狂言大蔵流山本東次郎家が代々拠点としているのだそうだ。
出口
二車線になった道路を西へ向かうと、すぐに水路敷の出口(矢印)が見えてくる。
水路敷
ここから先は再び水路敷を進んでいく。
苔
扉の下から水気が漏れているのか、苔がすごいことになっている。
和田一丁目アパートへ
徐々に南向きに曲がりながら、道路に出る。奥には都営和田一丁目アパートが見えている。
アパート脇
アパートの道路わきにある歩道が水路敷。ちなみに写真手前の道路を右に行くと、女子美術大学がある。
裏道
アパート裏に小沢川の水路敷が伸びている。
角
水路敷が西に向きを変えるところにある謎の出っ張り。
ジグザグ
アパート裏の水路敷をジグザグに進んでいく。
道路脇
坂を下りてくる道路の脇に並んで水路敷が続く。
細道
水路敷は道路脇から今度は細い路地になってさらに上流へ。
和田中央公園
細道を進んでいくと、和田中央公園に出る。ここにはかつて湧水があり、小沢川の水源の一つとなっていたという。
親水公園
和田中央公園の東寄りには、湧水を模した親水公園が造られている。写真奥、南側は崖になっており、いかにも水が湧き出していそうな地形に見える。
北側
公園の北側に水路敷がある。そのまま西に向かって進んでいこう。
交差点
公園西側の交差点から先は道路になっている。
ライオン
公園西側の出口に杉並区おなじみ、ライオンの止まれ標識があった。
車止め
車止めを渡って西へ。道路だと思っていたらその先に現れたのはこれでもかと建てられた車止め。
左側には袋小路の分譲住宅地があり、左右の道路はそこへの通り道になっている。ここから先は北に向きを変え、歩行者専用の遊歩道になっている。
赤舗装
赤い舗装が施された交差点を通過する。左右の道路は車道になっているため、注意喚起として塗られているようだ。
道路
再び車が通れる道路と合流。「杉並の川と橋」(2009年、杉並区立郷土博物館編)によれば、道路の西側には池があり、小沢川の水源であったという。
西へ
池があったとされる窪地の北側で、西へ向かう水路敷への曲がり角があるのでそちらへ向かう。
カーブ
一応車両通行可の道路になっていたが、このカーブあたりで車両通行はかなり怪しくなってくる。
微妙な車止め
次の交差点で道路の向こうに車止めが置かれ車両通行止めになるが、写真右側の道路にも微妙な位置に車止めがある。
右折
交差点から右側を見る。微妙な車止めは民家の敷地かもしれない植え込みの前にあり、道路への侵入を止めているようには見えない。写真奥の方からかつては小沢川の支流が流れてきていたようだ。先にそちらを見てみよう。
切り欠き
支流の道を進みすぐ先ほどの道路に突き当たる。左(北)に曲がるといきなり道路幅が狭くなる場所があり、ここから支流が始まっているようにも見える。
ここから先の谷筋に関しては水路があったという情報はないのだが、北にある高南中学校の脇を抜けて蚕糸(さんし)の森公園から流れてくる支流があったのではとする説がある。
小径
高南中学校の東側にある小径。果たしてこれは水路敷であろうか。
ここからの写真は2022/8/21撮影。
さらに北
さらに北側に進んだところ。これは間違いなく水路敷と思われるのだが。
セットバック
途中なんだかよくわからない境界線とセットバックのある場所を通る。
突き当り
蚕糸の森と杉並第十小学校の東側で屋敷森に突き当たって水路敷らしき小径は終わっている。屋敷の北側には青梅街道があり、東京メトロ丸の内線の東高円寺駅に出る。
蚕糸の森公園
蚕糸の森公園入口には、地下鉄の東高円寺駅入口もある。
魚首
小学校の前を通って小沢川に戻る途中、車止めとして置かれていたモニュ…なんでしょうねこれ。夜中に出会ったらコワイ。
古レール
さて、小沢川本流に戻って西へ進もう。高南中学校校庭の南側を進んでいくと、南の崖沿いに古レールが4本立っていた。
1955
トゲの付いた丸にSのマークはおそらく八幡製鉄のレール。1955年(昭和30年)とあるので戦後のものだが、なぜここにあるのかは謎。
階段
崖上の住宅から水路敷に下りる細い階段。
ちゅうい
高南中学校の南を抜け、さらに西へ。道路との交差点には杉並区ではよく見かける黄緑色の車止めと一緒に、あまり見かけない「ちゅうい」と書かれたペイントが描かれている。
交差点
南側から坂を下りてくる道路と交差し、さらに西へ。
崖
こころなしか南側の崖の高さが高くなってきているような。
環七へ
再び崖との高低差がなくなってきたところで、環七と交差する場所が見えてきた。
階段
環七の道路とはだいぶ高低差があり、階段で上ることになる。右側の階段がもとからあったように思われるのだが何故か封鎖されており、左側に新しい階段が造られている。手前の舗装が異なる部分は蓋暗渠の跡だろうか。
真盛寺
環七の西側、小沢川は真盛寺(しんせいじ)の境内にあった池から流れ出していたという。現在参道になっている部分に小沢川が流れていたようだが、それらしい痕跡はない。
真盛寺は別名を三井寺ともいい、日本橋越後屋の三井高利以来の三井家の菩提寺であるという。境内には新鏡ヶ池があり、そのあたりが小沢川の水源であったとされる。
本仏寺
真盛寺南側の私道。小沢川は水源である真盛寺の上流にも用水路があり、西側に位置する本仏寺と妙祝寺の境内には蓋暗渠も残っているというが、私有地は避けて西側の荒玉水道道路まで大きく迂回していくことにする。
上流へ
荒玉水道道路を渡った西側には堀ノ内斎場があり、その南側歩道が水路敷であるようだ。
北へ
斎場の西側で水路敷は北から流れてきている。かなり幅の広い道になっているが車両は通れない。
金太郎
北へ進んでいくと二つ並んだ金太郎の車止めがあるので、上流側から見たところ。左側の金太郎が、現存するものでは杉並区で最も東に位置している金太郎。
細くなる
青梅街道に近づくにつれ、だんだんと水路敷が狭くなってきた。
トンネル
木立のトンネルの脇に、金太郎の車止めが背中を向けて立っている。
脇道から
脇道側から金太郎を見たところ。
青梅街道へ
さらに北へ進むと、青梅街道が見えてくる。
入口
青梅街道まで出たところで下流側を見る。ここにも金太郎の車止めがあり、現在の小沢川はここからが上流端となる。
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