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越戸川とその支流(広沢の池支流)
越戸川広沢の池支流
ねりまっぷで昭和38年(1963年)の越戸川広沢の池支流を見る。
和光市と朝霞市の境を流れる越戸川から別れて、旧米軍基地に向かって西にまっすぐ上っていくのが広沢の池支流。
源流はその名の通り「広沢の池」という湧水池になっている。これを遡ってみよう。
合流点
上の地図右端の、越戸川との合流点。
蓋をされている割に結構な流量で越戸川本流に流れ込んでいるのが分かる。しかし、暗渠の上は完全に住宅地になってしまっている。
このページの写真はいずれも2013/1/26撮影。
境界標
対岸に渡ってみると、道路上の妙な位置に河川敷との境界標がある(ロールアップでつないでみた)。このあたりでは市境が川からわずかに朝霞市よりにあり、改修前の蛇行した水路を示しているようだ。
暗渠は住宅の下に潜り込んでいるのではなく、現在の越戸川沿いに埋められているのかもしれない。
東武東上線
合流点から東武東上線までの間は宅地化されてしまい、まったく痕跡が残っていない。
西側
しかし、東武東上線の西側には大きな川が出現。
これだけ大きな流れが住宅地の下に埋もれているのもすごいとは思う。
川筋が見えるのはここだけで、道路(坂道の途中)の西側では、住居脇の蓋暗渠になって進む。
蓋暗渠
ひとつ西側の坂道から下流側を見る。
蓋暗渠があるが、道路とはかなりの高低差があり階段も付いていないので入ることは出来ない。
坂
こんな坂の途中が橋になっている。
かなりの崖地であることが分かる。崖下側は盛土をしているようにも見える。
自然崖
さらに西側の橋から下流側を見る。
このあたりは斜面側が自然崖のまま残されているようだ。
上流側
さらに西側の橋では、かなり橋の傾斜が緩やかになっており、高低差がなくなってきているのが分かる。
蓋暗渠終了
次の橋で、蓋暗渠は終了。
写真ではわかりにくいが、ここでもまだ道路と蓋暗渠にはかなりの高低差が残っている(左側の塀の部分が高低差)。
バリケード
そこから上流は、崖下に妙なバリケードが置かれた道路になって続く。
池へ
ほどなく道路は広沢の池に行き当たる。
丸側ポスト
このあたりにはまだ結構数がある丸型ポストの向こうに、広沢の池が広がっている。
ちなみに広沢という地名は隣の和光市にもあるが、越戸川本流の上流端あたりから和光市役所方向に向かって南に広がる地域で、この池とは少し離れた場所にある。
元々は、崖上の広域地名が広沢原だったらしい。平安時代にこのあたりを「広沢の庄」とした広沢氏の領地だったという話もあるようだ。
広沢の池も、京都の嵯峨広沢町にある「広沢池」との関係を想定する説もあるようだが、はたしてどうなのだろうか。
取水口
広沢の池から道路下の暗渠に向かって大きな取水口が開いていた。
広沢の池
そして広沢の池。京都の広沢池よりははるかに小さそうだ。
朝霞市の史跡として指定されており、近年改修工事が行われたため自然の景観は残っていない。
不動明王像
池のほとりに立つ不動明王像。文久2年(1861年)造立というから、幕末の坂下門外の変あたりですな。
そばにある広沢観音堂には鎌倉時代の仏像が安置されているとも聞く。

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