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黒目川とその支流(浜崎、岡の水路敷)
地図
OpenStreesMapで黒目川を挟んで新座市浜崎近辺の地図を見る。
黒目川では下流部分にあたるこのあたりは屈曲部から最下流の新河岸川合流点に向かって現在も耕作地が広がっており、黒目川両岸では住居表示が実施されていない地域も多い。
東圓寺
黒目川右岸の台地にある松光山東圓寺。平安中期の寛弘年間(1004〜1012年)に「再建」されたと言い、もとは薬師堂とその別当寺だったというから相当な古刹であることは間違いない。
ここからの写真は2023/4/16撮影。
不動の瀧へ
境内の崖下に不動の瀧と名付けられた湧き水があるので、そこを見に行く。看板にあるように弘法大師御杖堀霊泉とあり、弘法大師が杖をついたところから湧き水が出たという伝説が残っているそうだ。
弘法大師像
不動の瀧へ向かう途中の参道両脇には、八十八体の弘法大師像が建てられているという。順番に並んでいるわけではないので、どれが88番なのかは確認できずじまいだった。
不動の瀧
途中崖を下った先にある不動の瀧。湧き水は写真右上にある不動堂の脇にあり、そこから溢れた水を滝に流している。現在でもそこそこの水量があるようだ。
弁天
滝の先には弁天を祀る弁天池がある。道路を挟んだ向こう側は朝霞市歴史博物館。弁天池から黒目川に向かって水路があったのだと思われるが、どこを流れていたのかはわからなくなってしまっている。
わくわくどーむ
代わって黒目川左岸へ。大字浜崎にある朝霞市健康増進センター「わくわくどーむ」。朝霞市には閉館してしまった「湯〜ぐうじょう」とか、ひらがなの施設名が多いような。
ここからの写真は2023/4/9撮影。
浜崎第二樋管
そこから少し左岸の堤防を上流へ向かったところにある浜崎第二樋管。樋管とは堤防をトンネル状に抜けている水路のことで、樋門に比べて規模の小さいものを言うそうだ(参考:河川用語集:樋門・樋管・水門)。
朝霞市内の黒目川、新河岸川には下流から順番に地名と番号がついた樋菅があり、黒目川には新河岸川との合流から上流へ向かって左岸側には笹橋樋管、浜崎第一と写真の浜崎第二樋管、溝沼第二樋管が置かれ、右岸側には岡第一〜第五樋管と溝沼第一樋管が置かれている。
樋管は水路の合流口になっているわけで、そこには水路が流れ込んできているということになる。
水路跡
浜崎第二樋管から堤防越しに左岸側を見たところ。ここには日本の水路が合流しているのだが、一つは画面奥から直線的に流れてくる農地の水路、もう一つは写真左側から流れてくる支流の水路になる。いずれも地上から水路は確認できないので、暗渠化されているのかもしれない。
農産物直売所
農地の間を流れる水路跡は、北側道路にある農作物直売所の横、写真右側のフェンスの向こう側を流れていた。このあたりは黒目川と新河岸川に挟まれた低湿地で、水路の改修や土地改良が行われて整備された。
支流
支流の水路跡は写真奥の住宅前で山側から流れてきて、堤防の山側を並走してくる。
水路敷
山側の道路から見ると、堤防に向かって水路敷が残っている。支流はここへ写真右側の道路脇を流れてきていたと思われる。
車止め
すぐに道路は直売所へ向かう道路との交差点に出るのだが、そこから上流へ向かって道路とは別に山側に水路敷が伸びている。
舗装
アスファルト舗装と砂利舗装を切り替えながら、水路敷は民家の門前を通過する。
歩道
埼玉県道112号(中央通り)を渡って西側へ。くねくねと進む道路脇には歩道があり、かつてはそこに水路があったことが推測される。
交差点
少しの間黒目川右岸を並走していた支流は、武蔵野線北朝霞駅方向へ向きを変えていく。
崖
水道橋のたもとから北向きに崖線を見たところ。崖下に空き地があるが、その辺りまでは水路があったことが想像できる。ここから上流側は水路跡は残っていないが、谷筋があるので辿ってみよう。
谷
武蔵野線の東南側を並走する道路に谷が残る。谷筋はここから道路左側(黒目川寄り)にやや折り返し、東武東上線に向かって続いているようだ。
西久保公園
谷頭は東武東上線を越えた先、朝霞台駅南側にある西久保公園あたりになるように見える。この公園には、写真左(南)からも別の谷が迫っており、大昔には湧水もあったことだろう。
浜崎氷川神社
武蔵野線北朝霞駅から武蔵野線の南側沿いに西浦和方向へ進んでいくと、崖上に浜崎氷川神社がある。室町時代中期にはこの地にあったことが記録でわかっているそうだ。
この写真は2023/7/9撮影。
岡第四樋管
さて、いったん下流の岡橋まで戻って橋から右岸側の岡第四樋管を見る。写真左の水門のように見える構造物は水位系となっており、右の樋管からは現在もかなりの水量で水が流れ落ちている。おそらくは不動滝などから集めてきた水が流れ出てきていると思われる。
ここからの写真は2023/4/9撮影。
グラウンド
樋管に流れてくる水路は東洋大学朝霞キャンパスのグラウンド脇を流れているが、上流側ははっきりした流れが確認できない。
岡第五樋管
上流へ進んで水道橋手前にある岡第五樋管。住所としてはこの辺りはすでに溝沼ではないかと思うが、樋管自体が岡にあるのか溝沼にあるのかは微妙なところ。
水路敷
岡第五樋管から右岸側には一区画だけ水路敷と思われる空間が残っている。その先は区画整理で道路になっているため、上流側には痕跡はない。
水道橋
黒目川の河川敷にある歩道は水道橋の下をくぐっていく。水道橋の袂には、右岸、左岸両側から排水口が出てきているのが見えるが、手前の右岸側は枯れており、奥の左岸側は現役のようだ。排水口に向かってくるはずの水路は確認することができない。
溝沼第一、第二樋管
水道橋上流側、手前右岸に溝沼第一樋管、奥の左岸側に溝沼第二樋管がある。
道路
溝沼第一樋管に流れてくる水路は道路になっている。古地図では、ここに向かって東武東上線南側にあった池から流れてくる水路が描かれているが、区画整理で水路跡、池跡はいずれも残っていない(わずかな窪地が残る)。
水路跡
溝沼第二樋管に向かっては、崖下の黒目川通りから消防署の裏手を通る結構幅の広い水路跡が残されている。整備されていないが、歩道として利用している人もいるようだ。
桜堤
東武東上線を潜り抜けて上流へ。この辺りは黒目川桜堤と呼ばれており、花見の提灯がまだ残っていたが、桜はほとんど散ってしまっていた。写真奥、左岸側に排水口が見えるが排水口に流れてくる水路は未舗装の道路になっている。
排水口と中洲
その少し上流の左岸側にも排水口がある。ここも流れ込む水路は未舗装道路になっているようだ。ここからさきほどの西久保公園に向かって谷筋が見られる。
一方写真手前、右岸側には本流から分かれた流れがあって、写真中央に中洲ができている。
この写真は2023/7/16撮影。
東林橋
さらに上流の東林橋から上流方向を見たところ。写真右側に黒目川本流とは別の水路が合流している。
ここからの写真は2023/4/9撮影。
水路
そこに向かって農地の間に水路が残っているが、枯れているようだ。
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