谷底には水路敷のような細道があった。
細道の突き当たりを右に曲がり、振り返って谷頭の地形を見る。わりと典型的な摺鉢上の谷頭地形が住宅地になっているのがわかる。
後日中台公園から西に向かい、西側から谷を見たところ道路沿いまで谷が迫ってきていた。中台公園との間には岬上に張り出した台地があり、谷としては別なのがわかる。写真には写っていないが民家の軒先に池があり、湧水も残っているのかもしれない。
最終的な谷頭は若木通りの手前まで来ているようだ。若木通り側から谷向きに見たところ。写真左側(西側)には延命寺の谷も迫ってきているので、結局またここに戻ってくることになるだろう。
最後に西側、延命寺の谷を見て行こう。まずは日大豊山女子中学高等学校の前を進む。
延命寺に向かって上る坂道の下から、北向のサンシティ方向を見る。かなり幅広い谷間だったことがわかる。
南側には崖が迫っている。崖全体が中台さとやま公園になっているらしい。かつてはこれだけの谷を穿つ湧き水があったということだろう。
谷筋を通る道がないので、いったん中台さとやま公園側に上って谷底の地形を見る。ここも住宅街になっているが、おそらくかつては農地だったのだろう。
西側には谷底を渡る道路があるので、谷底から尾根を見上げてみる。冬になって道路が凍結したら厳しそうだ。登っていくとさきほどの尾根筋に戻ることができる。
真言宗豊山派の延命寺。江戸時代の永正年間(1504〜1520年)頃の創建と伝わる。豊山(ぶざん)派は奈良県桜井市の長谷寺を総本山とする新義真言宗の一派。
すぐ近くに日大豊山(ぶざん)女子中学高等学校があるわけだが、こちらも元は文京区にある真言宗豊山派の護国寺に設置された豊山中学が前身ということなので、名前の通り豊山派繋がりということになる(もっとも、現在の日大豊山は仏教系の学校ではないようだが)。