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桃園川の水路敷群(末広橋〜三味線橋)その1
なかの便利地図
なかの便利地図で桃園川緑道の末広橋から三味線(さみせん)橋までを見る。
桃園川は荻窪駅近傍から杉並区を東西に流れ中野区で神田川に合流する河川だが、全て暗渠化されている。今回は中野区にある神田川との合流点から、上流へ向かって緑道と周辺の水路敷群を見て行こう。
暗渠には橋がそのまま残されている場所が多いので、地図に橋名を書き込んでみた。
合流
神田川の柏橋寄りから桃園川の合流口を見たところ。現在は南から北に向かって流れる神田川に西から流れてきた桃園川がほぼ直角にぶつかっているのだが、古くは西から来た桃園川と東から来た神田川がここで合流して北へ向かっていたらしい。
ここからの写真は2020/8/30撮影。
末広橋
神田川に架かる末広橋の西側に、桃園川に架かる橋がある。こちらの橋に名前があるのかどうかはわからない。
歌碑
なぜか桃園川緑道の上にある神田川歌碑。実際の歌詞のモデルはもっと下流の西早稲田あたりだという。
緑道
さて、それでは上流に向かって桃園川緑道を進んで行こう。桃園川は緑道としてきれいに整備されている一方、阿佐ヶ谷駅近くまでは川にかかる橋がほとんどそのまま残されているので、この先しばらくはほとんど橋巡りの様相となる。
ところで写真奥のあたりに、かつては南側から旧伏見宮別邸の脇を通って神田川の支流が流れてきていたはずだが、その痕跡は残っていなかった。
田替橋
最初に出会うのは田替橋。川の氾濫で田んぼの位置が替わったからだとか。欄干は緑道を通す際に切り取られてしまっているが、橋名を示す親柱はそのまま残されている。
小淀橋
緑道が少し坂道になって上った先にあるのが小淀橋(上流側から見たところ)。小淀というのはこの辺りの旧町名。
睦橋
魚の彫刻がある睦橋。暗渠になる前からこういう意匠ではないと思うのだが。
かつては、このあたりに北側から中野川が合流していたらしい。神田川にも上流の南台に同じ名前の橋がある。
戸井橋
川縁まで迫るマンションの間を桃園川緑道が抜けていく。
親柱
戸井橋の親柱(南側から)。塗装し直されているが、銘板は昭和30年に架設されたときのままなのだろうか。
このあたりの現地名は中央一丁目というのだが、中野区としては東端に近い位置にあって神田川で新宿区と接している。
遊具
戸井橋の西側には、遊具が置かれていてちょっとした児童遊園になっている。
立田橋
欄干が謎のオブジェの一部になっている立田橋(下流側)。
塔山小学校
正門が川に向かって開いている塔山小学校。旧町名は塔ノ山町で、「とうのやま」と読むようだ。塔ノ山の由来となった塔というのは、中野坂上交差点近くの旧第十中学校あたり(旧宝仙寺飛地)に存在した三重塔のことらしい。
三重塔跡
旧第十中学校(2018年閉校、現在新しく中野東中学校として建設中)脇にある三重塔跡の石碑。三重塔は石碑の南東100mほどのところに寛永13年(1636年)に建てられたが、昭和20年(1945年)の空襲で焼け落ちてしまったという。
三重塔は現在、宝仙寺境内に再建されている。
庚申塔
石碑のすぐ南側には、地元で「石棒さま」と呼ばれている庚申塔がある。これも戦災で崩れたものを再建したのだという。いまでも地元では庚申祭が行われている。
白金龍昇宮
さらにその南側、山手通りに出たところにあるのが白金龍昇宮。昭和24年(1949年)、城山町(現在の中野一丁目)に現れた黄金の龍を祀ったそうだ。
宮下橋
桃園川に戻って、山手通りの宮下交差点南側に架かる宮下橋は親柱が残っていない。宮下とは、北側にある氷川神社の坂の下にあることを意味するのだろう。
実は桃園川にはもう一つ宮下橋があって、上流の阿佐ヶ谷駅近くにある馬橋稲荷神社の北側にある橋がそれ。
ここからの写真は2020/8/30撮影。
氷川神社
中野の氷川神社は長元3年(1030年)創建と伝わる古い神社で、旧中野村の総鎮守として祀られてきた。
本殿
本殿は崖の上にある。

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