Natrium.jp
野川下流の水路敷群(谷川緑道〜吉沢橋)

OpenStreetMapで谷川緑道から吉沢橋までを見る。
玉電の線路跡を境に北側の丸子川寄りでは区画整理が進んでいるのに対して、南側の野川寄りは古い街並みがそのまま残っている。今回は玉電跡を挟んで南北に広がる水路跡を谷川緑道の上流端から吉沢橋・大蔵通り付近まで辿ってみよう。
玉電の線路跡を境に北側の丸子川寄りでは区画整理が進んでいるのに対して、南側の野川寄りは古い街並みがそのまま残っている。今回は玉電跡を挟んで南北に広がる水路跡を谷川緑道の上流端から吉沢橋・大蔵通り付近まで辿ってみよう。

まずは谷川緑道から中吉通りへ向かって北側の水路敷を見ていこう。
中吉通りでは谷川上流にあたる水路敷は通りの南側(幅の広い歩道がある部分)を並走していたが、谷川緑道と別れ写真左へ向かう道路を流れていた水路もあったようだ。
ここからの写真は2025/2/5撮影。
中吉通りでは谷川上流にあたる水路敷は通りの南側(幅の広い歩道がある部分)を並走していたが、谷川緑道と別れ写真左へ向かう道路を流れていた水路もあったようだ。
ここからの写真は2025/2/5撮影。

南側の歩道を通る水路跡はすぐに中耕地バス停付近で中吉通り北側から出てくる遊歩道に切り替わる。

玉電砧線跡の花みず木通りを渡ってさらに北に遊歩道が続いているが。

国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると谷戸川は砧線の南側(写真左の植え込み付近)を西から流れてきていたようだ。
砧線脇の水路は流路変更を受けたもので、それ以前は写真左の枠外にあるファミリーマートを回り込むように南の方から中吉通り(昭和22年にはない)付近を蛇行しながら流れていたらしい。
ここから西側と、中吉通り南側の水路跡は後ほど行ってみることにしよう。
砧線脇の水路は流路変更を受けたもので、それ以前は写真左の枠外にあるファミリーマートを回り込むように南の方から中吉通り(昭和22年にはない)付近を蛇行しながら流れていたらしい。
ここから西側と、中吉通り南側の水路跡は後ほど行ってみることにしよう。

付近のマンホールには玉電の電車が描かれている。

北側の遊歩道を改めて見てみると、西側に蓋暗渠が残っていた。

遊歩道は途中で終わっているが、蓋暗渠の方はそのまま丸子川から続いてきている。

北へ進んでいくと、丸子川との分岐点には水門が残っていた。

水門から丸子川を少し遡ったところに架かる雁追橋。

その上流側の脇に、崖の方から流れてきた水路が合流している。

雁追橋から崖を上る坂道を見る。道路左側に蓋暗渠があるが、この坂道は「まむし沢」と呼ばれる谷筋になっている。

まむし沢は緩やかなS字カーブを描きながら上っていく。
ここからの写真は2025/2/14撮影。
ここからの写真は2025/2/14撮影。

崖上に建つ玉川病院の入口前を抜けてさらに上る。

蓋暗渠としては写真奥の白い壁手前で終わっている。近辺に湧水があると思われるが場所はわからない。どうやら坂道の両側にある崖に複数の湧水があり、それが集まってまむし沢の流れを作っているらしい。
(ちなみに右の崖上には瀬田玉川神社がある)
(ちなみに右の崖上には瀬田玉川神社がある)

前の写真手前に見える石柱には「まむし沢」と刻まれているが、由緒などは書かれていないようだ。

さて、花みずき通りへ戻って西へ向かおう。道路南側には「砧線跡歩道」と書かれた案内看板が立っている。
「きしべの路」とも書かれているが、こちらは谷川緑道や花みずき通りを含む世田谷区の国分寺崖線沿いに指定されている観光ルートで、ここから西側は丸子川、野川沿いを世田谷区西端の野川緑地広場までつながっている。
ここからの写真は2025/2/5撮影。
「きしべの路」とも書かれているが、こちらは谷川緑道や花みずき通りを含む世田谷区の国分寺崖線沿いに指定されている観光ルートで、ここから西側は丸子川、野川沿いを世田谷区西端の野川緑地広場までつながっている。
ここからの写真は2025/2/5撮影。

遊歩道にいたムクドリ。大きな群れを作って都会で騒音などの被害を出す鳥だが、珍しく単独で行動していた。

花みずき通りを進んでいくと左右に水路敷が通る交差点が見えてくる。

前の写真にあった看板のところで北側を向くと、丸子川の方から蓋暗渠が伸びてきていた。こちらに進んでみよう。

北側の道路に出てみると欄干と橋が残っていた。

次の道路で蓋暗渠はフェンスに阻まれて終わっている。

フェンスから北側を覗き込んでみると、細い水路が伸びているが写真奥で民有地に突き当たっているように見える。空中写真を見てもここから北側の水路は失われているようだ。

続いて谷川緑道から中吉通り南側の水路敷を見ていこう。
谷川緑道上流端にあるフクロウの彫刻から西向きに見たところ。写真奥の方からも水路があったようだが、先に公園出口を左に曲がって南側から見ておこう。
ここからの写真は2025/2/14撮影。
谷川緑道上流端にあるフクロウの彫刻から西向きに見たところ。写真奥の方からも水路があったようだが、先に公園出口を左に曲がって南側から見ておこう。
ここからの写真は2025/2/14撮影。

南へ向かって十字路のところで振り返って中吉通り方向を見たところ。
地籍図や空中写真からは十字路左方向から写真奥に向かって水路があったようだが、道路と一体化していて痕跡はわからない。
地籍図や空中写真からは十字路左方向から写真奥に向かって水路があったようだが、道路と一体化していて痕跡はわからない。

左の道を進んでいくとマンションの脇にさらに南向きに細い水路敷と思われる隙間が残っていたが、写真奥で閉塞しているようだ。

南側の道路まで回り込んでみると、駐車場脇に水路敷と思われる空間が残っていた。

さきほどのマンション南側へ向かって谷川緑道から向かっていく道路も水路跡だった可能性がある。

駐車場から南へ進んで見たところにも水路敷らしき空間があった。写真は北向きに見たところ。
ここからの写真は2025/2/5撮影。
ここからの写真は2025/2/5撮影。

前の写真を撮影した場所から東西に細道があり、そこも水路敷のようだ。東側は道路に突き当たって終わっているが、写真奥には谷川緑道へ向かう非常用通路が見える。

一方、西側は曲がって多摩堤通りに出ている。写真は通りから見たところ。

多摩堤通りを少し上流に向かったところにある地蔵尊。

さて、さきほどのマンション北側に戻って今度は西へ。写真奥に多摩堤通りが見えるが通りの向こう側、現在自動車教習所があるあたりに読売橋という橋がかかっていたという。
橋の名前は野川の向こう側にあった読売飛行場に由来しているらしい。読売飛行場は昭和14年(1939年)に読売新聞社が開設(官報第3844号、1939/10/27)したもので、1970年に供用廃止(運輸公報第1070号、1970/6/16)され現在は二子玉川緑地運動場となっている。
橋の名前は野川の向こう側にあった読売飛行場に由来しているらしい。読売飛行場は昭和14年(1939年)に読売新聞社が開設(官報第3844号、1939/10/27)したもので、1970年に供用廃止(運輸公報第1070号、1970/6/16)され現在は二子玉川緑地運動場となっている。

読売橋よりやや下流側にある祠。右のだいぶ傾いている方には庚申塔が納められている。

読売橋のたもとから上流方向に向かって、多摩堤通り沿いに蓋暗渠が残っていた。
ここからの写真は2025/2/14撮影。
ここからの写真は2025/2/14撮影。

多摩堤通りの東側、道路とは異なる蓋暗渠のルート。

次の交差点、蓋暗渠は多摩堤通りに沿って左へ進むが、右斜(北)へ向かう道路にも中吉通りを渡って流れてくる水路があった。

ここで一度戻って谷川緑道に西から合流する水路敷をたどってみる。
すぐに北へ向きを変え、中吉通りへ。写真奥には花みず木通りから流れてくる水路跡も見えるが、ここでは中吉通りを西に向かう。
すぐに北へ向きを変え、中吉通りへ。写真奥には花みず木通りから流れてくる水路跡も見えるが、ここでは中吉通りを西に向かう。

中吉通りから左(南)に分かれている道路が水路の跡。

進んでいくとS字カーブが現れるが、写真手前の変形丁字路左が先ほどの多摩堤通りへ向かう水路跡。
S字カーブの奥に水路跡は続いていくが、写真では隠れている右奥にも水路跡がある。
S字カーブの奥に水路跡は続いていくが、写真では隠れている右奥にも水路跡がある。

右奥の水路敷は中吉通り、花みず木通りの北側から流れてきている。こちらは後で見ていくことにしよう。

S字カーブから西へ向かう。歩道部分が水路の跡とも思えるが写真奥で行き止まりになっており、車道側が多摩堤通りまでつながっている。

多摩堤通りの蓋暗渠を上流(西)へ向かうと、中吉通りとの交差点手前から始まっていた。

交差点の東脇に、中吉通り北側から水路跡が合流している。こちらも後で見ておくことにしよう。

交差点左(西)側に野川に沿って流れる水路の暗渠が続いているが、封鎖されていて通ることはできない。

上流側に回り込んで見た。こちらは入っていけそうに見えるが、先の方は民家の裏手になっているので遠慮しておく。

そこからいったん水路跡は道路右(東)脇を北へ。暗渠は写真中央で再び左(西)から出てくるが、写真奥へ向かう道路も水路であったらしい。

西側から出てくる暗渠は封鎖されている。

そのまままっすぐ進むと玉電の線路跡が交差する多摩堤通りの吉沢橋交差点に出る。ここからさらに上流部分は機会を改めることにする。

西側に向かった暗渠は玉電線路跡の道路にフェンスで顔を出している。

最後に中吉通りまで戻って北側の水路跡を大蔵通りまで見ていこう。まずはさきほどのS字カーブ右に合流していた水路跡、中吉通りから花みず木通りに向かって遊歩道になっている。

花みず木通りから北を見たところ。写真東西に走る玉電線路跡に沿って東向きに水路が分岐していた。

花みず木通りを西に見たところ。西側は水路がなかったようだ。

北へ向かうと、途中幅の広かった遊歩道が右(東)へ分かれるY字路があるが、水路敷は直進する方であるようだ。

今度は並走する道路が左に分かれるが、水路跡は直進して次の道路に突き当たる。

そこから西へ向かって道路左側に水路敷が残っている。

曲がってすぐのところで北から水路敷が合流しているが、フェンスに阻まれて入っていくことはできない。

この水路敷も丸子川からつながっていたと思われるが、一方北側の道路から丸子川寄りで閉塞している。ここもフェンスで遮られているが、フェンス越しにみると開渠が残っているのがわかる。

道路脇の水路敷の方を西へ進んでいくと、大蔵通りの手前で左手(南)から斜めに別の水路敷が合流してくる。

左側の水路敷は車両通行止めになっているが、こちらもすぐに大蔵通りに出て渡っている。

この水路敷から南へ分岐する水路敷があるのだが、これは中吉通りへ向かっているので下流側から見てみよう。

中吉通りと多摩堤通りの交差点から北へ向かい花みず木通りを越える。その先の住宅地を通る道路は左右にくねりながら進んでおり、きれいに区画整理された北側では異質な感じがある。

そのまま北へ進んでいくと、さきほどの水路敷から分岐した閉鎖された水路敷が現れる。
大蔵通り東側の水路敷、水路跡はこれで一通り見て行ったことになる。
大蔵通り東側の水路敷、水路跡はこれで一通り見て行ったことになる。