Natrium.jp
仙川周辺の水路敷群(つりがね池と類さん川)
地図
OpenStreetMapで仙川のつりがね池支流と類さん川を見る。
地図右下寄りにあるつりがね(釣鐘)池付近を水源とする仙川の支流があるが、その北側には祖師谷公園東側に沿って「類さん川」と呼ばれている支流もあるので、合わせて見ていこう。
排出口
つりがね池支流が仙川に合流する場所は仙川の大石(だいし)橋下流側にある。かなり大きな排水口で、水量も豊富なのが見て取れる。
このページの写真特に断りがなければ2023/8/18撮影。
水路敷
大石橋左岸側に排水口に向かう水路敷が残されている。
北へ
振り返って北側を見ると、幅広い道路が車止めで封鎖されていた。
道路
1ブロック先から北は普通に道路として使われているが、そこに支流が流れていたはずだ。
昭和36年
国土地理院Webサイトで昭和36年(1961年)の空中写真(国土地理院撮影)を見る。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)で同じ時期の地図を見ることができるが、つりがね池から南へ流れる支流ともうひとつ、北へ向かって類さん川と合流する支流もあったように見える。
護岸?
支流の道路を遡っていく途中、塀の下にあった不思議な造形は護岸のあとだろうか。
フェンス
しばらく道路を進んだあと、東にあるつりがね池に向かって水路は道路を分かれていく。
内側
フェンスの脇から水路敷を覗き込む。草むらに覆われていて、水路としては枯れているようだ。なぜか水路敷に向かって住居表示のプレートが貼られている。ここから先は道路がなく、北側の流路と合流するところまでは空中写真で確認するしか方法がない。
観世音堂と薬師堂
ここで少し周辺の社寺に寄り道しておこう。現在仙川を挟んで東が祖師谷五丁目、西が成城九丁目となっっているが、住居表示実施前は祖師谷二丁目、古くは下祖師谷村(その後千歳村大字下祖師谷)であった地域にあたり、仙川両岸に広がった大きな村(村域は南の東宝撮影所付近まで伸びている)であった。
写真は大石橋右岸側にある観世音堂(観音堂)と薬師堂。正面の観世音堂は承應3年(1654年)、左の薬師堂は享保11年(1726年)の建立という。
世田谷区烏山図書館所蔵の「世田谷の地名(下)」(世田谷区教育委員会、1989)によると、鎌倉時代にここに地福寺という寺院があり祖師堂(宗派の開祖を祀る御堂)が建っていたことから祖師谷という村名としたという(地福寺の位置はつりがね池の西にある熊野神社近くの成城大学旧哲士寮付近ともされる)。ちなみにこの地福寺、和光市白子の東武東上線白子川橋梁脇に現存する地福寺の前身と地元では伝えているそうだ(和光市の地福寺側ではその説を採用しておらず、10世紀の創建としており年代は整合しない)。同書では祖師堂は日蓮宗不受布施派が建てた日蓮を祀ったもので、幕府の弾圧により由緒不明となったのではと推定している。
下祖師谷神明社
左岸の崖上にある下祖師谷神明社。創建は不明とされているものの、正平年間(1346〜1369年)に新田義興、義宗が足利尊氏を倒すために当地を通りがかった際に天照皇大神祠が祀られているのを見かけ戦勝を祈願したという伝承が残っているそうで、相当古くからここにあったらしい。
この写真は2023/12/1撮影。
小祠
そしてつりがね池の谷頭の崖上にある小さな祠。稲荷神社と思われる。
令和元年
改めて国土地理院Webサイトから令和元年(2019年)の空中写真(国土地理院撮影)を見る。
南側の支流は住宅の間を抜け、途中で北側流路から分かれている様子が見える。つりがね池南側には南側の支流の上流にあたる別の谷(祖師谷五丁目公園に行く方)もあるのだが、このあとは北側流路、つりがね池、南側の谷の順番で見ていくことにしたい。
排水口
仙川本流を鞍橋の北まで進んで祖師谷公園に入り、左岸側の排水口を見つける。水の跡はあるが、常時水が出ているわけではないようだ。地図上では、ここが北側流路と類さん川の出口というように見える。
親水テラス
その上流側には右岸に食い込んだ親水テラスが作られているが、これは仙川の蛇行跡なのだろう。
蓋暗渠
親水公園内北側のせきれい橋を渡って右岸側へ。排水口の上には蓋暗渠が残っていた。
橋
公園の中には蓋暗渠になる前からあったのかどうかは定かではないが、橋が残っている。
水路敷
蓋暗渠は公園内を通る道路を渡って東側にも続いている。
突き当たり
蓋暗渠の突き当たり。公園東側にある民家の手前で蓋暗渠は終わっているが、ここに右(南)側からつりがね池の北側流路が、左(北)側から類さん川が合流している。北側流路と類さん川は祖師谷公園付近で何度か川筋が付け替えられており、類さん川はかつてはもう少し南側、鞍橋の南で仙川に合流していたようにも見える。
類さん川は後ほど見ていくとして、とりあえずここからつりがね池へ向かっていこう。
通路
フェンスで覆われている類さん川と違って、南の方は通路として利用されている。写真左側のブロック部分が側溝の暗渠なのだろうか。
道路
側溝付き通路はすぐに公園東側の崖下を通る道路に合流している。
崖下
道路は崖が張り出している部分の下を通っていく。写真の交差点右が鞍橋になり、ここから南側は公園エリアから出て住宅街として整備されている。
後退
道路が東へ曲がっていくと張り出していた崖は北側に交代していくが、水路があった道路はそのまま東へ向かって進んでいる。
仙川へ
途中、南に向かって仙川へ流れていた水路の跡が道路になっている。全国Q地図の東京都3千分の1地図(1959〜1960年)では道路として描かれている。
この写真と次の写真は2023/12/1撮影。
出口
仙川右岸から水路の排水口を見たところ。水が出ている跡があり川には水たまりもできているが、かなり澱んでいて常時流れているわけではないようだ。さきほどの地図ではここに橋が描かれている。
突き当たり
さきほどの道路をそのまま進んでいくと、突き当たりにある祖師谷六丁目三叉路バス停の脇に水路を発見。
開渠
ガードレールから奥を覗くと、バス停の裏に開渠が伸びていた。写真ではわかりにくいが開渠の底には水も流れている。
橋
開渠は住宅の間を抜けていくが、東側の道路に水路を渡る橋が残っている。
つりがね池入口
さらに東側、つりがね池の入口から水路を見たところ。フェンスの向こうが水路で、草むらになってしまっているが水の流れはあるらしい。
写真左奥の住宅あたりで、南へ流れている支流と先ほど進んできた北側流路が分岐している。
つりがね池公園
振り返ってつりがね池公園を見る。池の周りには木々が生い茂っていて池の様子はよく見えない。
池
谷頭側の池はそこそのの大きさがある。つりがね池(釣鐘池)は釣鐘を抱えて池に身を投げた僧侶の伝説が残っていることが名前の由来というが、縄文時代中期の住居跡が周辺で発見されており古代から生活の場であったことが伺える。
弁財天
下流よりには弁財天が祀られている。
谷頭
つりがね池の谷頭、公園内で立ち入り禁止となっている森。崖上には稲荷神社がある。
祖師谷五丁目公園
つりがね池南側にあるもう一つの水路跡は住宅地になってしまっていて下流側は残っていないのだが、上流側に水路敷がある。つりがね池から南の祖師谷五丁目公園から水路敷を見てみよう。
この写真から熊野神社までは2023/8/23撮影。
水路敷
公園北側の柵からカメラを出して崖下を撮影。崖下に水路敷が見える。おそらくは写真奥の車が停まっているあたりまでが水路敷で、石垣のあたりが南側の谷頭と思われる。
熊野神社と神明社
つりがね池から祖師谷公園に戻る途中にある祠と鳥居。写真手前は庚申塔で、右の鳥居の奥には小さな祠がある。地図では「熊野神社」と書かれているのだが、鳥居の脇にある看板は「神明社」とある。どうやら熊野神社の御神体は下祖師谷神明社に合祀され、境内は神明社の管理となっているらしい。
「世田谷区上祖師谷・祖師谷誌」(佐藤敏夫、1993)では、この前を通りつりがね池の北を通る道を地元で「地福寺通り」と通称しており、地福寺はつりがね池の北側の道路脇にあったのではないかと推定している。同書では「祖師」については近辺で日蓮宗の題目板碑が見られないなど関係性はなく、「もと」すなわち水源であるつりがね池に由来するのではないかとしている。
昭和36年
国土地理院Webサイトから昭和38年の空中写真(国土地理院撮影)。いくつか現存しない水路があるが、概ね現在の仙川と類さん川の流路がわかる。
溝
さきほどの合流点から北側の類さん川を見る。この辺りは川面が草むらで覆われて見ることは難しいが、水路敷は残っているようだ。
類さん川という名前はなかなか珍しいが、上流部にある看板によると川の東側に住んでいた鳥居類蔵の「類さん」が由来という。どこからどこまでを類さん川と呼ぶのかはよくわからないが、今回はここから上流をそう呼んでおくことにする。
祖師谷公園
水路敷の脇に道はないので、西側から祖師谷公園内を通って北へ向かうといきなり立派な橋が現れる。
梯子
橋から上流方向を見ると、草むらの中に梯子型開渠が見えるような…
木立と橋
さらに北へ進み、木立を抜けるとテニスコート脇に再び立派な橋があった。
開渠
橋から南側の開渠を見る。現在は枯れているようだが、水が流れている時もあるらしい。
薮
上流側にも梯子型開渠が続いているのだが、徐々に藪になっていく。薮は右へカーブしていき、東側の道路へ近づいていく。
蓋暗渠
公園東側の道路に出てきたところ。歩道部分を類さん川が蓋暗渠として流れてきている。先ほどの空中写真では写真右から支流が合流していたが、その流れは現在では失われている。
支流
蓋暗渠を上流へ進んでいくと、途中で右(東)側から支流が合流してくる。
蓋と草
フェンスから覗き込んでみると、こちらも蓋暗渠が住宅の間に続いていた。写真奥で左(北)へ折れているが、空中写真を見るとクランク状になっていてさらに東へ向かっているようなので先にそちらを見てみよう。
隙間
大きく東側に回り込んで来たから流れてきた蓋暗渠が西へ向かうところを見る。保育園と農地の間に蓋暗渠が残っており、表通りまで繋がっているようだ。
源造橋
北側の表通り、都道118号調布経堂停車場線の旧道から見たところ。水路敷は左(東)から道路脇を進んで来てここで南に曲がっており、道を離れるところには源造橋と呼ばれる橋の跡が残っている。この橋も、近所に住んでいた源造さんの名前が由来なのだそうだ。
コンクリ舗装
源造橋から道路脇の水路敷を見る。都道118号は大道、滝坂道または青山道と呼ばれた古道で、甲州街道が開かれる前には渋谷区の道玄坂上から府中の滝坂を結ぶ主要道として使われていたという。
水路敷は蓋ではなくコンクリートで舗装されてしまっている。
安穏寺坂
滝坂道は仙川から榎交差点に向かって安穏寺坂を登っていくが、その手前に道端に庚申塔や馬頭観音文字塔などを祀った地蔵堂がある。現在は坂の名前になっている安穏寺の北側に新道が出来たためほとんど車が通らないが、かつてはバスも頻繁に行き交う主要道でいつきても渋滞していたポイントだった。
安穏寺は元禄年間(1688年〜1703年)の創建という。地蔵堂に安置されている岩船地蔵尊、「武蔵野の地蔵尊」P150(三吉朋十, 1972)によれば土台の船は都内で2体しか残っていない江戸時代のものだそうだ。
上流端
安穏寺坂の途中からコンクリート舗装の暗渠はいきなり始まっている。ここにはかつて富士見小路の道標があったことがGoogle Mapの2014年8月ストリートビューまで確認できるが、その後撤去されてしまっている。
公園北側
さて、祖師谷公園脇の道路に戻って類さん川の蓋暗渠を再び上流へ向かって進んでいく。しばらく進むと類さん川は道路と分かれ公園の方へ向かっていく。
滝坂道
蓋暗渠は公園の中を抜け、滝坂道にぶつかってそこから先は道路になっているようだ新道の北側はページを分けて見ていくとして、今回の類さん川探索はここまでとしておく。
蛇行跡
ここからは仙川右岸側の水路敷を見てみよう。仙川はこの辺りでは西側の崖に沿って流れていたが、改修工事でまっすぐ広く作り直されたため滝坂道の南に旧流路が取り残された場所がある。旧流路の真ん中あたりには、西側の成城通りに向かう新道の建設工事が行われている。
上祖師谷神明社
旧流路跡の崖上には、上祖師谷神明社がある。創建は不明だが元禄年間(1688年〜1703年)ではないかとされており、下祖師谷神明社よりはかなり時代が下る。
この写真と次の写真は2023/8/23撮影。
取り残され
もうひとつ、だいぶ南に戻るが鞍橋の南に一区画だけ取り残された水路敷が残っている。かつては鞍橋に向かって水路があったようだが、宅地開発で失われてしまっている。
上流端?
上流側は流路がよくわからないが、どうやら観音堂裏手にある祖師谷公園の飛地内にあるように見える。
ここからの写真は2024/1/27撮影。
日蓮宗祖師堂
最後に大石橋左岸へ戻ったところで、なんとその近くに日蓮宗祖師堂があることに気がついた。写真では見づらいが看板には「祖師谷の地名由来のお堂」と書いてある。
しかし、先に紹介した文献ではいずれもこの場所を祖師堂として紹介しておらず、この真新しい祖師堂がいつからここにあったのかわからない(2009年のGoogle Street Viewでは門扉の右側に由緒を書いてあると思しき看板があるのだが、現在は文字が剥がれてしまっていて読み取れない)。地福寺とされる場所とも一致しないのでここに江戸時代から祖師堂があったのかどうかもよくわからない(全国Q地図の1960年代の地図ではここに寺院のマークはないが、マークがないからといって寺院がないとは言えない)。
2024/2/2追記:ゼンリン住宅地図 世田谷区で確認したところ、この場所には2000年まで別のアパートと思われる建物が建っていた。その後2001年に現在の建物の形が記載され、2002年から「日蓮宗 祖師堂」の記載となっている。
水路敷?
祖師堂の前を通る道路を東へ向かうと、少し上ったところで老人ホームの北から東へ回り込む水路敷のように見える空間を見つけた。
未舗装
東側は未舗装の幅広い坂道になっており、谷頭と思われるところで車止めの向こうは道路に突き当たっている。ここが水路敷であることを示す資料は見つけていない。
大石橋近辺
国土地理院Webサイトから昭和23年の空中写真。現在祖師堂があるあたりには道がないが、建物らしきものはある。未舗装道路のあたりは畑の畦道で、水路敷というよりは畦道がそのまま取り残されたものなのかもしれない。
by Natrium