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石神井川周辺の水路敷群(根村用水・姥ヶ橋〜中板橋)

OpenStreetMapで根村用水上流部分を見る。中板橋で田柄川下流部分から分水した根村用水(稲付用水、中用水とも)は、石神井川左岸を並走したのちに稲荷台を掘割で抜けて稲付川(北耕地川)に接続していた。

環七通りの姥ヶ橋交差点の南側には、根村用水の水路敷がしっかりと残っている。
ここからの写真は2020/7/15撮影。
ここからの写真は2020/7/15撮影。

水路敷の奥には、道路の手前に橋桁と橋台が残っているのが見える。

道路側から残っている橋を見たところ。

橋から上流側は道路の歩道として使われているようだ。

歩道は途中で途切れ、稲荷台第二児童遊園になっている。かつての水路は埋め戻されてしまっているらしい。

おっと、公園の主に目をつけられてしまったようだ。ここは戦わずに「逃げる」を選択して先へ進むとしよう。

公園をすぎたところでやたらと幅の広い坂を下っていく。

坂を下ったところで帝京中学校・高等学校の北側を水路は流れていたと思われる。

ゆるやかに蛇行する水路跡。

道路の北側を見ると、路地の奥に一段高くなった場所が見える。見えているのは稲荷台児童遊園と思われるが、西側にある加賀小学校も段差の上にある。

道幅が不安定な感じ。左側の凸凹した部分が川筋なのだろうか。

道端の看板その1。

看板その2。

保育園前の三叉路は南(左)の方が水路跡。

クネクネとした路肩を見つつ、竹の湯の前を通っていく。

竹の湯の斜め向かいには板橋区公文書館がある。2002年まではここに板橋区立第三小学校があったが、稲荷台小学校の敷地に統合されて加賀小学校となった。

公文書館西側の交差点は「縁切榎前」となっており、角に縁切榎と呼ばれる榎の木と稲荷神社がある。
ここはその名の通り悪縁を切って良縁を結ぶご利益があるとされるが、もともとは旗本屋敷にあった榎と槻の木が「えのきつき」>「えんつき」>「縁尽き」という具合に語呂合わせて意味を持ったものだという。
ここはその名の通り悪縁を切って良縁を結ぶご利益があるとされるが、もともとは旗本屋敷にあった榎と槻の木が「えのきつき」>「えんつき」>「縁尽き」という具合に語呂合わせて意味を持ったものだという。

水路の方は写真奥を南北に走る旧中山道をくぐって流れてきていたたようだ。

旧中山道、交番と一体になっている板橋宿上宿の石碑。

そこから旧中山道を少し南に行ったところに、石神井川を渡る「板橋」がある。板橋区の名前にもなったこの橋は、鎌倉時代にはすでに最初のものが架けられていたという。

板橋の南側には、かつての石神井川の蛇行跡が石神井川緑道として残されている。

下流の合流点から上流方向をみたところ。蛇行跡とはいえかつての本流だったこともあり、幅広い水路敷が親水公園として整備されている。

公園の中にはなぜか一部だけ水路が蓋暗渠になっている部分がある。

板橋を挟んで緑道と反対側、上流側の分岐点は熱帯雨林のような雰囲気になってしまっている。

一方、根村用水は旧中山道から国道17号(現中山道)に向かう。

中山道の西側では、短い水路敷があるがすぐに民家の敷地に阻まれて行き止まりになっている。

境内に石橋が残るという智清寺の西側、日曜寺の門前で水路敷が復活する。

日曜寺の前にも石橋が残っている。

日曜寺の先は普通の道路になっていた。

北側の斜面に作られた双葉町ひだまり公園の下を水路は流れていたようだ。このあたりでは道路北側に歩道があるので、そこが水路敷だったのだろう。

もともとの根村用水は突き当たりの向こうから流れてきていたようだが、区画整理により元の流路は辿れないように見える。

すぐ北側に西へ向かう道路があり、交差点から少し下っていることを考えるとそのあたりを根村用水が流れていたのかもしれない。

石神井川に架かる向屋敷橋のあたりで、根村用水は石神井川か田柄川から分水していたものと思われる。