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石神井川周辺の水路敷群(白山神社/谷戸の支流)

OpenStreetMapで今回のコースを見る。
このあたりは字谷戸と呼ばれていたあたり。ここでも二本の水路が並行している。
このあたりは字谷戸と呼ばれていたあたり。ここでも二本の水路が並行している。

石神井川にかかる東中央橋から南向きの道路を見る。かつては、写真奥に進む道路に東側の水路があった。
この写真は2017/7/19撮影。
この写真は2017/7/19撮影。

まっすぐ進んで行くと道路は上り坂となるが、矢印のところに車止めがあり、水路はそちらから流れて来ていたらしい。
ここからの写真は2017/7/21撮影。
ここからの写真は2017/7/21撮影。

車止めのところまで行ってみた。家の間に細い水路敷が残っている。

結構な角度で水路敷は上って行くが…

上流側は階段で道路まで降りているので、元の水路よりも嵩上げされているようだ。
ここから先は再び道路と合流して進んで行く。
ここから先は再び道路と合流して進んで行く。

一方、西側の水路は石神井川との接続部分が分からなくなっており、一本南側の道路からたどって行くことになる。
写真右側は崖だ。
写真右側は崖だ。

崖から谷間へ移って来たところで、南側へ向かう西側の水路敷が現れる。

南へ進むと水路敷らしい細道になった。まずは分かりやすい西側の水路敷から進んで行ってみよう。

塀と塀に挟まれた空間を進んで行く。

その先は、西側に崖を抱えた公園(練馬二丁目こだま公園)になっている。

アパート裏手の公園を進む。

いったん東側の水路跡に回ってみる。東側も崖になっており、二本の水路がそこそこ狭い谷間に作られていることがわかる。

西側の水路敷はアパートの南側で公園を抜け、崖下の路地として続いている。

少し進んだところで再び東側の水路跡との間に公園(練馬けやき公園)が現れた。

東側は遊歩道風に整備された歩道が小綺麗に整備されていた。

東側の水路跡は公園の先も歩道付き道路として続いている。

西側の水路跡が公園を抜けたところで、ひとつ西側の道路脇にあるのが練馬白山神社。鎌倉時代の板碑が発掘されており、相当古い神社であることは間違いない。写真中央の大ケヤキには平安時代の永保(えいほう)3年(1083年)に後三年の役で奥州に向かう途中の源義家が奉納したと伝わっていて、国の天然記念物に指定されている。2本残っていたのだが、1本は枯れてしまい2016年に撤去されている。
一説には、ここが奈良時代の東海道にあった乗潴駅(あまぬま、または、のりぬま)であったとし、練馬の語源ともなったともいう。
※乗潴駅には、杉並区天沼にあったとする説もあり、実際のところははっきりしないようだ。
一説には、ここが奈良時代の東海道にあった乗潴駅(あまぬま、または、のりぬま)であったとし、練馬の語源ともなったともいう。
※乗潴駅には、杉並区天沼にあったとする説もあり、実際のところははっきりしないようだ。

白山神社の向かい側には、鎌倉時代に発掘された板碑(石碑)が保存されている阿弥陀寺がある。練馬区ではここしかない時宗の寺だそうだ。

その阿弥陀寺の裏手を西側の水路敷がくねくねと進む。

いかにも水路敷らしい裏道が続いて行く。

西側から徐々に崖が迫ってくる。

水路敷の上流端となる西武池袋線の高架が見えてきた。

西側の水路敷は西武池袋線北側の道路の下で、唐突にコンクリートの擁壁にぶつかって終わっている。もともとは、高架の下から流れて来ていたらしい。

東側の水路敷は、道路のまま西武池袋線に突き当たっている。矢印のところに見える西側の水路敷は、東側を線路北側の側道と接続させるために犠牲になっているように見える。
公図上では、東西の水路敷がもう少し高架の下に伸びて南側側道付近で合流しているので、古くはそのあたりに水源があったのか、さらに南側にある千川上水から水が漏れていたのかもしれない。
公図上では、東西の水路敷がもう少し高架の下に伸びて南側側道付近で合流しているので、古くはそのあたりに水源があったのか、さらに南側にある千川上水から水が漏れていたのかもしれない。