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石神井川周辺の水路敷群(おはま井戸と高稲荷)

OpenStreetMapで今回のコースを見る。。
東側の出子谷(でこやつ)と西側の練馬の谷戸との間に張り出した台地の縁を見て行く。
東側の出子谷(でこやつ)と西側の練馬の谷戸との間に張り出した台地の縁を見て行く。

東京メトロ有楽町線の氷川台駅から南西に向かったところにある「おはま井戸」。駅名の元にもなった氷川神社は現在駅の北側にあるが、南北朝時代の長禄元年(1457年)に渋川義鏡が後の古河公方足利成氏との戦の途中にこの地に湧き出していた泉に立ち寄り、御浜井戸と名付けたとされ、最初はこの地に氷川神社があったのだという。
「氷川神社発祥の地」という名称があるが、大宮氷川神社の発祥というわけではなく、文明9年(1477年)に江古田原の合戦で焼失し、延享年間(1744〜48年)に現在の位置に再建された氷川神社の発祥地ということだ。
ここからの写真は2017/7/19撮影。
「氷川神社発祥の地」という名称があるが、大宮氷川神社の発祥というわけではなく、文明9年(1477年)に江古田原の合戦で焼失し、延享年間(1744〜48年)に現在の位置に再建された氷川神社の発祥地ということだ。
ここからの写真は2017/7/19撮影。

おはま井戸の西側、鎌田橋の脇に細い水路敷があって南に向かっている。まずはこれを辿っていこう。

一本南側の道路からさらに南へ、駐車場の脇を水路敷が抜けて行くが、申し訳程度に側溝の蓋が水色に塗られていて水路敷であることを主張している。

さらに一本南側の道路から下流側を見る。細い水路敷だが、水色のペイントにしっかりと「水路敷」の文字が書かれているのがわかる。

水路敷はさらに南へ。

次のブロックから先は水路敷が道路の一部になっていた。

一見しばらく道路と一緒に南へ進んで行くように見える水路敷だが、特に前触れもなく矢印のところで右へ曲がっている。一度は気がつかないで通り過ぎてしまったほどだ。
ちなみに全国Q地図で東京都3千分の1地図(1961〜62年)を見るとそのまま写真奥に水路が続いている。
ちなみに全国Q地図で東京都3千分の1地図(1961〜62年)を見るとそのまま写真奥に水路が続いている。

民家の境目に突然現れる蓋暗渠。1ブロック西側の道路に向かって進んでいるが、さすがにここに入るのは躊躇われるので反対側に回ってみよう。

販売側は柵で封鎖されていた。

南側には車止めのある水路敷が見える。

南側の車止めを先へ進んで行くと写真奥で坂道になっており、このあたりが上流端と思われるのだがそれらしい場所は見当たらない。

さて、続いては水路敷の西側にある高稲荷公園に向かう。北側に張り出した台地の縁が、公園を囲むように崖になっている。

その崖の上に鎮座しているのが高稲荷神社。崖下にあった沼に棲む大蛇に引き込まれてしまった若者の霊を慰めるために祀られたという。

高稲荷神社を取り囲む崖はまるで城郭のようにも見える。

段差の部分にはおびただしい数の銀杏が転がっていた。

崖は新大橋のたもと、広徳寺の境内で石神井川と別れているようだ。この広徳寺は境内があまりにも広いので「びっくり下谷の広徳寺」という地口(駄洒落)でも謳われた台東区下谷にあった広徳寺が移転してきたものだそうだ。