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新川(白子川上流)の水路敷群(アマヌマの周辺)
空中写真
新川からアマヌマ周辺までをねりまっぷの空中写真で見る。
「白子川を知っていますか」(白子川汚濁対策協議会、平成6年)によれば、水色の実践があるあたり、保谷高校の東側にかつてアマヌマと呼ばれる池か湿地があったという。現在でも、西東京市の道路地図でこの辺りだけ水路敷が残されているので、今回は新川から北へ向かう谷筋を辿りつつアマヌマを目指してみよう。
北へ
保谷庁舎から伏見通りを渡って新川が泉町水源へ向かって大きく南へ曲がる手前。行き止まりの道路が来たから新川に接続しているが、この道路付近が周辺からは若干低くなっていて、かつての谷筋の名残を残しているかもしれない。
まずはここから北を目指すことにする。
このページの写真はいずれも2016/9/3撮影。
畑
北向き道路はすぐに東西に走る道路に突き当たって終わり。地図記号では畑になっている場所のブロック塀をよく見ると突き当たり付近がほんのわずかに低くなっているのがわかる。
このあたり、古い地図をみると一面の桑畑だったようだが、畑に植わっている木が桑なのかどうかはよく分からない。
谷筋その1
桑畑の北側には、歩いてみた感じでは都合3本の谷筋が東西に並んでいるのだが、正直写真ではよくわからないかもしれない。
まずは一番西側の谷筋。ひばりヶ丘北通りから又六地蔵を通って伏見通りを越え、保谷新道に向かう地蔵通りに向かって緩やかに上っていく。
上り
谷筋は、地蔵通りを西向きにそこそこの角度で上っていくが、すぐ先の三叉路あたりが谷頭のようだ。
地蔵通り
地蔵通りを西側から見たところ。地蔵通りと谷筋は写真右へ降りていく。
坂
ひとつ東側の道路は途中からかなりの坂になっているのが分かるが、どうやら谷筋ではなさそうだ。
谷筋?
東側の谷筋は道路沿いではないようでよく分からない部分が多い。写真は地蔵通りから北へ向かう道で、微妙にくねっているあたりで二つの谷筋が分かれているようにも見えた。
谷?
一本北の道に出たところで東に伏見通りを見る。手前の電柱と、奥の電柱の向こうがわずかに凹んでいるような気がするのだが、どうやらこのあたりでははっきりとした谷はないらしい。
幅広
上の写真奥の電柱の先に、北向きにやたらと幅の広い道路がある。元から畑の畔だったようだが、この道路の両側が若干下がっていて微高地にようになっている。
横山道
幅広の道を進んで、突き当たりは横山道。西側を見ると、次の路地のあたりがやや凹んでいるように見えなくもない。
水路敷
その路地が、西東京市の道路地図で水路敷となっている場所。アスファルト舗装されておらず、いかにもそれっぽいが、すぐ先で行き止まりになっている。
西側から
横山道の西側からみたところ。この写真の方が道路の凹みが分かるかもしれない。いずれにせよ、微低地ではあるがこのあたり一帯がアマヌマと呼ばれていた場所と思われる。
ただし、「白子川を知っていますか」では明確に位置が指定されているわけではなく、横山道南側にある保谷第一住宅付近も微低地になっており、そちらがアマヌマだった可能性も否定できない。
隙間
横山道のひとつ北側に、東西に走る隙間と言っては大きな空間があるが、これも水路敷のようだ。
写真中央に写っている青い建物が、さきほどの水路敷で突き当たりに立っていた自転車置き場で、もともとは水路として繋がっていたようにも見える。
もう一本
アパート挟んでもう一本北側にも水路敷があった。
畑
さらにもう一本北側の道路から南の畑を見たところ。写真左にさきほどの自転車置き場が見える。写真手前の道路も水路敷で、畑と家の境目あたりにも水路があった思われるが、それらしい遺構は残っていないようだ。
庚申塔
帰り道、横山道を西に進んで保谷高校の先、地蔵通りとの分岐に風化が著しいが庚申塔を見かけた。改修記念碑が置かれており、地元の人に大事にされているようだ。

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